scriniarius Togawanus

復習がてら古典作品の対訳を書くだけです。

古典ラテン語から古仏語までの概略史

 西洋古典といえば,ギリシア語と並んでラテン語ですが,ラテン語は紀元前1世紀,散文をキケロに,韻文をウェルギリスに,それぞれ範を取り,「古典ラテン語」と呼称される完成形を見ることとなります。その後の歴史の中で,古典ラテン語は民衆的な俗ラテン語を経て変貌を遂げ,中世の段階で様々な言語に分化していました。その一つが古フランス語ancien françaisです。

 先学期,古仏語の講義(『メルラン(マーリン)』の講読)を履修し,期末レポートが課されたのですが,生憎中世文学には全くの素人なのでまともなものが書ける気がせず,上記の変遷を簡単にまとめることにしました。折角なのでこちらに投稿します。

 言語学に関しても全く明るくないため,二次文献に頼った,ほとんど理論を含まない変遷史になっており,大した内容ではありませんのでご容赦を。

 

無理にコピペしていますので表示が変だった場合はこちらをお使いください(元データ)

https://1drv.ms/b/s!AmdAVvA0ZcISg95QLzxpafgTAv3dbw

 

以下本文です。

 

 
 
 
 

はじめに

 本報告は,演習で取り扱った古フランス語の成立について関心を抱いた古代ローマ史専攻たる報告者が,ローマによるガリアの征服とラテン語の導入から最古のフランス語テクストたる『ストラスブールの誓約』までを主だった範囲として,1万字程度の分量を以って俗ラテン語を経て古フランス語に至るまでの変遷を辿ろうと試みたものである。遺憾ながら報告者は言語学に明るくないため,音韻論について十分に理解したと言えないまま二次文献を頼り,外面上の変化を辿ることしか叶わなかった。テーマとしてはあまり斬新なものとはいえないが,概説的かつなるべく詳細に1000年の歴史を追えるようにしていきたい。

 

 

今日のフランスは,ローマ時代にガリアと呼ばれていた地域に含まれる。ガリアには元来イベリア人,リグリア人,ギリシア人が居住していたが,紀元前500年頃に中東欧から西に移動し始めたケルト人の一派ガリア(ゴート)人が紀元前300年頃,先住民と入れ替わりに定住するようになった[1]。彼らの隣人であったギリシア人,或いはマルセイユ人はその文明をガリア人に伝えたものの,海を活動の舞台とするギリシア人・マルセイユ人とガリア人は真に融合することはなく,その交流はある種敵対的であった。したがってギリシア語はガリアにおける文明語となる機会を逸し,南仏の方言プロヴァンス語にその痕跡を幾つか残すに留まった。ガリア人はガリア語を用い続けたのである[2]

ガリア地方の内,フランス南部(プロヴァンス地方)にあって最もイタリアに近い「ガリア・ナルボネンシスGallia Narbonensis」(別名「ガリア・トランサルピナGallia Transalpina」)は早くも紀元前121年に,ギリシア人の要請を容れた執政官クィントゥス・ファビウス・マクシムス・アッロブロギクス,並びに前執政官グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスの遠征軍によって征服され,ローマの属州となる。イタリアとの地理的近接性によって多くのローマ人が移り住んだことで,ローマの文化は深く浸透,ラテン語も用いられるようになる。

続いて紀元前58~51年のガイウス・ユリウス・カエサルによる諸遠征によってガリア全域がローマの支配下にはいり,3つの属州が設置される。その名称は,現在のフランス北部・中部が「ガリア・ルグドゥネンシスGallia Lugdunensis」,北部(ベルギー方面)が「ガリア・ベルギカGallia Belgic」,南西部が「ガリア・アクィタニアGallia Aquitania」として振り分けられた。

この属州においては,ラテン語は統治のための公用語であり,文明の代表であった。ガリア人の貴族はローマ市民権を与えられ,すなわちローマ人へと吸収されることでラテン語の人口は増加した。また,さほど大規模とはいえないものの,退役兵,奴隷らがイタリア半島から移住し,自らの言語をガリアに浸透させていく。そして,以前は存在しなかった「学校」がガリアにローマ文明を普及させていき,決定的にガリアをラテン化することになった[3]

この時より西ローマ帝国の滅亡する紀元475年まで,ガリアは(一応は)ローマの支配下にあった。すなわち,ガリアはラテン語にさらされ続けていたということである。

ただし,ラテン語の完全なる浸透はガリアにおいて非常に緩慢な過程であった。早くからローマに占領された「ガリア・ナルボネンシス(ガリア・トランサルピナ)」こそ紀元1世紀以後ラテン語のみが話されるようになっていたが,その他のガリア地域では紀元4世紀,あるいは5世紀までガリア語が話され続け[4],さらにケルト語はその後数世紀にわたって息を伸ばし続けたと考えられている[5]。すなわちガリア語との500年の共存期間(ケルト語はそれ以上)があったということになる。この緩慢さが,のちのフランス語を生むこととなるのである。

また,そもそもガリアのラテン化も都市部が中心であり,ローマの影響は農村には,直接的には達しなかった。したがって,都市部で流通する物品は該当するラテン語に置き換えられるものの,農村の住民のみが詳しく知る物品やガリア人のみが持っていた技術[6]に関する用語は,ガリア語のままやがてラテン語に導入されることとなる[7]。また,既に発音はイタリア半島とガリアの間で,また,ガリアの都市と農村の間でも既に若干の違いを生じていた。ガリアのラテン語は,その導入の早い段階から独自性を歩み出していたということができる。

 

 

 

歴史的変遷

 斯くしてガリアに流布したラテン語には2つの形,すなわち古典ラテン語俗ラテン語がある。続いては,この差異について述べなくてはならない。

 そもそもラテン語は紀元前5世紀まではローマとラティウム地方のみで用いられていた地方語であったが,ローマが地中海世界へと領土を広げていく中で,急速に普及したものである。紀元前280年に完了するイタリア半島統一,そしてそれに続くポエニ戦争の中で,ローマ人は南伊のギリシア人諸都市との交流を密とする。ローマ人は優れたギリシア文学を手本としてラテン文学を生み出すようになり,言語として成熟し,豊かになった。散文はキケロによって,韻文はウェルギリウスによって,それぞれ頂点に達し,このころ(BC 70 ~ AD 14)のラテン語を我々は「古典ラテン語Classical Latin」と呼ぶ。

 一方,文語としてのラテン語の発展と歩調を同じくして,口語の乖離が進んでいく。口語は外界的な影響,生物的な口調の法則に影響を受けやすく,文語(古典ラテン語)との間のみならず,時代や地域間,職業や階層間でも差異が生じることとなる。この中で,特に,ローマ帝国の圧倒的大多数を占めていた,文字の読み書きのできない一般大衆が用いていた口語は「俗語sermo vulgaris」と呼ばれ[9],それを我々は「俗ラテン語Vulgar Latin」と呼び変える。さらに述べると,「学校教育と文学上の手本と影響を,ほとんどあるいはまったく受けていない諸階層の話し言葉[10]」が「俗ラテン語」と定義される。

 続いては,「古典ラテン語」から「俗ラテン語」への変遷に伴う,4つの主要な差異について概略的に記載する。

 

音韻上の変遷

 「古典ラテン語」と「俗ラテン語」との大きな差異の一つは,アクセントの性質である。「古典ラテン語」が高低アクセントであったのに対し,「俗ラテン語」は強弱アクセントである。この具体的なプロセスは不確定であるが,俗ラテン語における本質的な母音変化のすべての原因は,この強弱アクセントの誕生にあるとされる[11]。フランス語を含む現在のロマンス諸語は強弱アクセントであり,この変化を以って近代語への第一歩を踏み出したと考えることもできよう。なお,この変化に伴ってアクセントの位置は変化しなかった。これはロマンス語にあっても保存され,すなわちほとんどの単語において古典ラテン語のアクセント位置が保存されているということになる[12]。この他にも,「俗ラテン語」は多くの音韻上の変化を「古典ラテン語」から遂げている。例えば,「喉頭帯気音hの消失」「子音群の単純化」が挙げられるであろう。これらは,ロマンス語,あるいはここで問題としている古フランス語の発音・綴りに連なるものである。

 

「曲用」の変遷

 続いて重要になるのは「屈折」すなわち語尾変化である。第一に,名詞の語尾変化(「曲用」)について述べる[13]

「古典ラテン語」の多様な名詞活用は,一定の規則に従っていたが,しかし,多くの場合不均整なものであり,多くの誤謬のもととなった。誤謬は格の混同・同一化をもたらすこととなり,従って「俗ラテン語」への変遷の歴史は,主として格体系の縮小の歴史ということになる。以下では,この流れを簡単に記載する。

  •  まず大きな同一化の1点目として,遅くとも5世紀頃までには語末の “-m” が消滅し,次いで語末音節の母音が同一化したこと(長短の区別の消滅・音色の区別の消滅)が挙げられる。これは口語としての「俗ラテン語」の性質に依るものであり,音韻上の変化である。一方で,西ローマ帝国崩壊期まで進んで尚, “-i”, “-s” といった語尾は音韻変化の波に耐えた。すなわち,多くの単数主格形は他の格と区別され,属格や,第3変化単数与格もその個性を保つこととなった。
     一方,複数形ではほぼすべての格が保存されていた。だが,第1変化の複数主格 (“-ae”) が (“-as”) へと取って代わられる事例が5世紀以降ガリアにおいて広がっていく[14]。このことで,第1変化に関して複数主格形と複数対格形が同一となる。ところで第3~5変化にあってはもとより複数形の主格と対格が同じ形態を持つため[15],結果的に主格と対格が異なる複数形を持つものは第2変化のみとなった。
  •  また,全体の傾向として対格と奪格の区別が失われる。これは音声上の問題に加えて,これとは別に,前置詞が関わる格であったために意味上の混同が起こりやすかったことも関係している[16]。この混同は対格が優勢であった。
  •  そしてさらに,与格と属格が近接していく。元来「利害の与格 commodi et incommodi」「心性的与格dat. ethicus」といったものが,属格の持つ「所有」のニュアンスによって置き換えることが可能であったこともあり,後期ラテン語においては「所有」のニュアンスを有した与格(「所有の与格」)が多用される。一方,例は少ないものの,与格を用いるべき箇所で属格が用いられるということも見られ,遂に与格と属格は溶け合い,機能として等価になる。
  •  ところで,「古典ラテン語」にあっては,機能が隔たっていたにも関わらず,与格と奪格の形態は同一であることが多い(すべての名詞の複数形,第2変化名詞の単数形)。これによって,先程の与格と属格との結合体が奪格を抱き込むこととなる。
  • 更に,②で述べた対格と奪格の意味上の混同がこの結合体を侵食する。

ここまで述べたように,最終的に6世紀中頃の話し言葉では,属格・与格・対格・奪格(すなわち「斜格」)が同一の形態(形としてはかつての対格)を持つようになる。そして,この二格体系すら他のロマンス語圏では7世紀後半には既に過去のものとなったにも関わらず,古フランス語(並びに古プロヴァンス語)においては保存されることとなったのである。

以下にここで述べた名詞の曲用の変遷を表にまとめる[17]。最下段には参考として,それぞれ変化として対応する古フランス語を掲載した。

 

 

Sg.

Pl.

 

 

Nom.

Gen.

Dat.

Abl.

Acc.

Nom.

Gen.

Dat.

Abl.

Acc.

 

1

 

rosa

rosae

rosae

rosā

rosam

rosae

rosārum

rosīs

rosīs

rosās

 

rosa

rosae

rosae

rosa

rosa

rosas

rosaro

rosis

rosis

rosas

①        

rosa

rosae

rosae

rosa

rosas

rosaro

rosis

rosas

②        

rosa

rose

rosa

rosas

rosis

rosas

③        

rosa

rose

rosa

rosas

rosis

rosas

④        

rosa

rosa

rosas

rosas

⑤        

fille

fille

filles

filles

 

2

 

dominus

dominī

dominō

dominō

dominum

dominī

dominōrum

dominīs

dominīs

dominōs

 

dominus

domini

domino

domino

domino

domini

dominoro

dominis

dominis

dominos

①        

dominus

domini

domino

domino

domini

dominoro

dominis

dominos

②        

dominus

domino

domino

domini

dominis

dominos

③        

dominus

domino

domino

domini

dominis

dominos

④        

dominus

domino

domini

dominos

⑤        

murs

mur

mur

murs

 

3

 

nātiō

nātiōnis

nātiōnī

nātiōne

nātiōnem

nātiōnēs

nātiōnum

nātiōnibus

nātiōnibus

nātiōnēs

 

natio

nationis

nationi

natione

natione

nationes

nationo

nationibus

nationibus

nationes

①    

natio

nationis

nationi

natione

nationes

nationo

nationibus

nationes

②    

natio

nationi

natione

nationes

nationibus

nationes

③    

natio

nationi

natione

nationes

nationibus

nationes

④    

natio

natione

nationes

nationes

⑤    

none

nonain

nonains

nonains

 

                               

 

音韻上の混同と機能上の混同は同時に進行し,音韻上の混同が起こりにくいような格でも機能の類似性が曲用を混乱させ,一方で全く機能が異なった格同士が音韻上の類似性によって一つの格に収束していく。すなわち,このような変化は番号順に進行したのではなく,相互に干渉しながらであったと考えられるのである[18]

格の減少に関しては,さらにもう一つの要因が存在し,それは「入れ替え可能性」である。これは,同様の音韻変化の波を受けつつも動詞の「活用」が比較的保存された(後述)一方で,何故名詞では変化のヴァリエーションが減少したのかを特に説明する。この「入れ替え可能性」は,簡単に述べると,前置詞を伴う表現が各々の格の機能を代用するということである。前述の②で述べた通り,前置詞の支配は対格に一本化されつつあった事,あるいは前置詞そのものの不変化性が格変化よりも好まれるようになったといえる。

また,以上で述べた格変化の単純化と並行して,「性」の単純化が起こる。すなわち3性からなる「古典ラテン語」から中性名詞が失われ,現代のロマンス語のごとく男性と女性の2性へと収束していく。魁としては早くも西暦の始まりにおいて,中性複数名詞 (“-a”) のうち集合的意味を持つものが女性名詞として扱われるようになっている。一方で中性名詞と男・女性名詞の差異性は10世紀のラテン文においても意識されており,まず薄れていったのは名詞そのものの性区別ではなく,関係代名詞との性一致であった。関係代名詞は,発達していく中で “qui”, “quem” が男性ではなく「人」を表す先行詞に用いられ, “quod” が中性ではなく抽象的な「モノ」を表す先行詞に用いられるようになった。これは性の機能がほとんどなくなりつつあったことを示し, “-o” と “-a” のように明確な音声的区別があった男性名詞と女性名詞は隔てられた一方で,役割と音韻上の特徴を持たなくなった中性名詞は次第に廃れていく運命と成るのである。

また,指示代名詞も発達過程で複雑に変遷しつつ単純化の道をたどる。詳細は後述するが,いくつかは古フランス語に引き継がれていく。ただし,如何様な過程を経ていったかを示す発達は,俗ラテン語文の中に見ることはできない。

 

「活用」の変遷[19]

 

「屈折」についての第2の話題として,動詞の語尾変化,すなわち「活用」の変遷を追う。

 「活用」は,実質上消え失せた「曲用」とは打って変わり,音韻に伴う綴の変化を除けば「古典ラテン語」の規則が「俗ラテン語」においてもよく保存され,ロマンス諸語に引き継がれるどころか,さらに豊かさを増していく。語るところは多いが,紙面と時間の都合上,特に際立つものを幾つか記述するに留めたい。
 まずは,最も注意すべき変化として未来形を掲げておきたい。「俗ラテン語」にあって未来形は,音声上他の時制と混同されることで,本来の「未来」としての明確な意味を失っていく。具体的には,第1,2変化活用では,母音間の “-b-” が音声として弱体化して,完了形と音声上の区別がなくなっていく[20]。また,第3変化活用では,語末音節の “-i” と “-e” が混同されたことで現在形と未来系の区別がなくなっていく[21]。したがって俗ラテン文にあって「未来」のニュアンスを示すために単なる現在形や別の迂言法を用いるようになるということが起こる。特に大きな将来性を伴う「未来」を表すためには “inf. + habere” という形が主流となっていく。この “inf. + habere”  が本来の未来形に取って代わって,ロマンス語における未来形の系譜を担うこととなる。ただし,時制系全体の構造は一切変化しておらず,対応する語形が変化しただけであるということには留意する必要がある。 “habere” が動詞の活用語尾と化したものが,古フランス語の,或いは現代フランス語の未来形ということになる(特徴的な “-r-” は “habe-r-e” に由来する)。

 続いては,本報告では古フランス語への変遷を扱う以上,これに特徴的な複合時制の誕生について,特に述べていきたい。

一つは受動形についてのものであり,ここでは “amare” を例とする。詳しい経緯は一切不明であるものの,本来それぞれ受動完了,受動過去完了であったはずの “amatus sum” “amatus eram”がそれぞれ現在,未完了過去として用いられるようになっていった。この変化は,「古典ラテン語」には存在しない “amatus fui”, “amatus fueram” という新しい完了受動の表記法が何処かの時代において開発されたことによって齎されたと考えられている[22]。本来の受動現在,或いは未完了過去であった “amar” “amabar” は,複雑であったためか,徐々に消滅していく[23]。この表記が古フランス語(更には現代フランス語)の受動形 “estre + p.p.” に一致することは言を俟たない。

 もう一方は, “habere + p. p.” の用法である。用例自体は古くから,例えばリーウィウスの時代から存在したものの, “habere” と動詞の過去分詞形はそれぞれが独立した意味を有していた。例えば, “circumfusum suis copiis haberat hostem” 「彼は味方の軍勢で包囲された敵を持っていた」という文章では, “habere” は主語が「保持する」という意味を持ち,動詞の過去分詞形は主語によって客体に齎された状況を示している。しかし過去分詞が精神的な働きを示す場合,この二語の区別はなくなっていく(例えば “habeo eum cognitum” 「私は知られた彼を持つ」と “eum cognovi” 「私は彼を知っていた」の意味的な可換性)。このような用法は当初は稀で,しかも「知る」という意味の動詞に限られていたが,6~10世紀のある段階で一般化するようになる。 そしてこれは, “habere”が “avoir” に相当することを指摘すれば,フランス語の複合過去にまさに一致するのである[24]

 

 

 

前節では「古典ラテン語」から「俗ラテン語」へと変化していく際の一般的な差異について,音韻と形態の観点に絞って述べた。今後はこの「俗ラテン語」から「古フランス語」への歴史的変遷を記述する試みをしたい。

第1節で述べた経緯を経てガリアにラテン語が齎されて以後,紀元後の最初の数百年「俗ラテン語」は,それ自体は次第に第2節でその一例を述べた通りの変遷を遂げつつも,しかし言語的な統一性を保ち続ける。

ガリア語は,先述の通り幾つかの特徴的な語彙をガリアのラテン語,あるいはかなり稀だがラテン語全体の語彙へと遺し,5世紀の終わり頃には消滅する。先立って西ローマ帝国が滅亡し(476年),ガリアがローマ,或いは他の属州と次第に切り離されていったこともあり,既に地域特有の単語と完全なる言語的分化を予感させる音声的傾向が存在していた。しかし一方,まだガリアのラテン語は他地域と非常に近接したラテン語であった[25]。言語の地域的独立性は次第に高まっていったはずだが,どの段階で古フランス語の出発点となる言語へと変化したかは判断することはできない。これは「文語ラテン語」が「口語ラテン語」の影響を排して地域を超えた統一性を維持したため,たとえ俗的な文献であっても,当時口頭で語られていたラテン語を曖昧にしか反映しないからである[26]。史料によって明らかにされるのは,イタリアの俗ラテン文とガリアの俗ラテン文が8世紀においては明らかに相違しているということのみである。

以上より,些細な変化は紀元後早くから既に起こっていたとはいえ,本質的な変化は,西ローマ帝国の崩壊した5世紀において決定的に開始され,8世紀後半にはラテン語はもはや統一的な伝達手段ではなくなっていたと見なす研究が大半であり,そしてそれ以上の確定した結論を出すことはできないのである[27]

さて,5世紀以降のガリアには,ガロ=ロマン人(この段階ではガリア人ではなくこう呼ぶのが相応しいであろう)の他にゲルマン民族の一派たるフランク人が居住していた。以上で述べたラテン語の変貌について,具体的な時間を与えることはできずとも,その要因をフランク人に帰することはできるであろう。

フランク人自身はガリア定住当時殆どがラテン語を解さなかった。しかし,メロヴィング家のクローヴィスがアリウス教徒たる西ゴート族と戦う際に司教の支持を受けようとしたことで,フランク人はローマ教会の一員となる。そしてその公用語たるラテン語を宗教語として受け入れた彼らは,ゲルマン語の語彙を一部(但し現代語において重要なものである)提供しつつも,ラテン語化したのである。このことによってフランク領の境界線が,ロマンス語とゲルマン語とを隔てることとなった[28]

しかしフランク人はラテン語に大きな音声上の変化をもたらす。それというのは,ゲルマン式の強い呼気による強勢を与えたことである。このことがフランス式の語彙・発音に大きな影響を与えることとなる。すなわちある母音に強勢が置かれることで[29],その前の音節は語中音消失し,その後ろの音節は縮減する。これに伴い,幾つかの例外を除いて,非強勢の語末は音節を失うこととなった。そしてその「例外[30]」にあっては,古フランス語,或いは現代フランス語において唯一許される非強勢母音たる [ə] に収束し,古フランス語では “a, o, e” ,そして現代フランス語では “e” と綴られるのである[31]。以上の文献に現れない変化は,最古のフランス語テクストとみなされる「ストラスブールの誓約」で証拠付けられ,9世紀には概ね完了していたという結論しか我々は知ることができない。

なお,ゲルマン語の影響は北部においてより強く,従ってフランス語の発達の基礎となる以上の発音変化は,フランス北部の方言として始まったのである。南部はより保守的で大きな変化は被らず,我々はそれを総称してオック語(オクシタン語),或いはプロヴァンス語と呼び,今日まで引き継がれた別の系統となるのである[32]

こうして音声的に決定的に変質したこの言語は,トゥール司教会議において “rustica romana lingua” と呼称され,ラテン語と区別されることとなる[33]。この背景にはラテン語そのものの変化が存在する。すなわち,カール大帝治世下の伝統回帰,所謂カロリングルネッサンスによってラテン語が古典期の純正さを多くの面で取り戻し,それ故に口語のラテン語との乖離は決定的なものとなって,後者をラテン語と呼ぶことはもはや相応しいこととはいえなくなったのである。

これを以って,我々がここまで扱ってきたガロ=ロマンス語の諸方言体系たる言語は,古フランス語の最初期たるものとして扱うことができるのである[34]

フランス語で書かれたとされる文献の最古たるものは,先ほど名前を上げた842年の「ストラスブールの誓約Serments de Strasbourg」であり,ニタールNithardによるラテン語年代記『ルイ敬虔王と息子たちの歴史』に原文で引用されている。この誓約はシャルル・マーニュの息子ルイとシャルルが長兄ロテールに対抗して同盟を結んだもので,ルイはシャルルの家臣によって理解されるようロマンス語で誓い,シャルルは他方ドイツ語で誓った[35]。ルイが用いたロマンス語は,ラテン語の特徴を十分に残しながらも,先行するテクストとは一線を画しており,先程述べた地域的音声変化の結果と対応する綴りを示す[36]。これは公文書ゆえ言語学的テクストとして至上の価値を持つものではないが,幸いにしてこれを補足するものがあり,900年頃に書かれたフランス最古の文学的文献である『聖女ウーラリーの続唱Séquence de sainte Eulalie』である[37]。これら2つの資料は特別視され,特に「最古フランス語」として扱われることが多い[38]。古フランス語の始まりとしては,この「ストラスブールの誓約」が著された842年か,或いは当時の口語を明確にラテン語と区別した証拠であるトゥール司教会議が開催された813年に置かれるのがほぼ共通した見解である[39]

 

 

総括

 

ここまで概観してきた,ラテン語から古フランス語までの変遷を今一度簡単にまとめると以下のようになる。

すなわち,紀元前70年に完成した文語たる「古典ラテン語」は,その誕生とほぼ同時に口語との乖離を生じ始め,自然的発声に基づいた変遷を遂げることとなる「俗ラテン語」を生ずる。語尾子音の脱落,母音の音声の同一化と言った音韻上の変化,あるいは機能の同一視を経て,ラテン語を特徴づける名詞の豊かな曲用は次第に失われていき,主格と斜格(被制格)の2格のみが残され,動詞は一方で豊富さを増していく。現在のフランスに当たるガリアに居住していたガリア人はローマ人の征服を受けてラテン語を受け入れたが,完全な浸透には数百年の時間を要し,ガリア語,ケルトごとの併存期間が続き,幾つかの語彙を提供する。それでも,西ローマ帝国が滅亡して地方的な自立性が高まっても尚,ガリアにおいて発達していった俗ラテン語は他地域のそれと本質的に共通・同一であった。しかしフランク人がガリアに居住したことでゲルマン語の強勢的発音が俗ラテン語に取り入れられ,ラテン語は大きな転換を迎える。ガリアのラテン語は,現在のフランス語を特徴づける発音(特に語尾弱勢母音の消滅),或いは綴りを獲得し,次第に独立性を高めていく。8世紀後半の段階ではガリアのラテン語はイタリアのそれとは決定的に相異なっており,813年のトゥール司教会議においてその口語は “rustica romana lingua” というラテン語と決定的に区別された呼称を得る。そして842年に記録された「ストラスブールの誓約」は,そこにおいて話された言語の,明らかにラテン語と隔たった,「最古フランス語」と呼ぶべき痕跡を我々に伝える。これをもって「古フランス語」が誕生したとみなされるのである。

フランス語は,自らも『ガリア戦記』によって「古典ラテン語」の黄金期を築いた代表的な作家であるユリウス・カエサルによってガリアが平定されたところからその歴史を開始し,当初はラテン語の変遷と軌を一にしつつも,旧来のガリア語,ケルト語,あるいは5世紀以降はゲルマン語の影響によって独自性を高めていき,ついに9世紀を以て,完全に独立した言語の歴史へと転換していくのである。

今回,二次研究のみを参照し,古フランス語形成までの歴史を表面的になぞるに留まってしまい,例を用いて具体的な議論を行ったり,何らかの新たな仮説といったものを提供することはできなかった。また,今後ガリアに侵入するノルマン人,アラブ人の語彙も『メルラン』の時代の古仏語の語彙に影響を与えていたと考えられ,しかしそこまで筆を至らせることも叶わなかった。報告者に一切の前提知識がなかったため,同じくラテン語から古仏語への変遷を追う目的でも,実際のテクストにあたってある特定の語の変化をたどるといった取り組みなど,報告としてより新鮮な,望ましい手法を取ることができなかったのは遺憾である。本報告は,報告者自身の学習の一環として,ある程度の情報量を盛り込みつつ,ただし重要な幾つもの話題を捨て去ることで,極めて概略的に古仏語形成史を追うことをかろうじて果たしたのみである。

 

[1] Rickard (伊藤・高橋訳 1995): p. 5.

[2] von Wartburg (田島他訳 1976): pp. 22-26.

[3] von Wartburg (田島他訳 1976): pp. 27sq.

[4] Rickard (伊藤・高橋訳 1995): pp. 10 et 15.

[5] Herman (新村・国原訳 1971): pp. 24-25.

[6] 例えばビールの製造についてはガリアで重要視されていた一方,ローマでは未知であった。

[7] von Wartburg (田島他訳 1976): pp. 29-35.

[8] 本節の基本的な記述は,國原 (2007): pp. 1-3に依拠する。本節に関して別個に引用する場合のみ,新たに註を付すものとする。

[9] 地域間・階級間の口語の差異についてはローマ人も「都会言葉sermo urbanus」「田舎言葉sermo rusticus」「兵隊語sermo castrensis」のように区別しており,「俗語sermo vulgaris」もその中の一つということになる。

[10] Herman (新村・国原訳 1971): p. 18.

[11] Herman (新村・国原訳 1971): pp. 47-48.

[12] Herman (新村・国原訳 1971): pp. 48-49. 例として civitátem → cité, púlurem → poúdreが挙げられている。

[13] 曲用については,多くの記載をHerman (新村・国原訳 1971): pp. 60-76,並びにvon Wartburg (田島他訳 1976): pp. 39-41 に依拠した。

[14] 但しこの変化はガリアにはむしろ遅れて入ってきたものであり,多くのローマの属州においては紀元後の最初の数世紀の時点ですでに現れていた。

[15] むしろ第1変化において複数主格と対格の混用が起こったのは,この影響という考え方も可能である。この他に,ラテン語と同様のイタリック語であるオスク語とウンブリア語が “-as” で終わる複数主格形を持っていたことも要因の一つと考えられている。

[16] 単数では “-m” の消失による音韻上の混同が考えやすいが,複数では機能上の混同がより重要な要素とは言えるかもしれない。

[17] Herman (新村・国原訳 1971): pp. 60-69の記述をもとに報告者が作成。

[18] なお,俗ラテン語の変遷においてもう一点重要なものとして,イタリア以東においては “-m” と同様に語末の “-s が脱落したことが挙げられる。したがって第2変化の例から分かる通り,東部の俗ラテン語では単数と複数を区別するものは主格しかなかった。この点についてはフランスを始めとするロマニア西部では採用されず,例えばイタリア語の “muri” と古フランス語の “murs” の違いを説明することになるだろう。今回はここで簡単に触れておくに留めるとする。Cf. von Wartburg (田島他訳 1976): p. 65.

[19] 「活用」については,主にHerman (新村・国原訳 1971): pp. 76-85,並びにvon Wartburg (田島他訳 1976): pp. 45-50 を参考にした。

[20] 例としては第1変化活用 “amare” の3人称単数未来形 “amabit”と同完了形 “amavit”,第2変化活用 “monere” の3人称単数未来形 “monebit”と同完了形 “monevit” を挙げることができる。

[21] 例としては第3変化活用 “regere”の3人称単数未来形 “reget” と同現在形 “regit” を挙げることができる。

[22] “fui”, “fueram”はそれぞれ “sum” の完了,過去完了形。

[23] 但し,これはどうやらかなり漸進的な変化であり,メロヴィング朝の公文書であっても「古典ラテン語」の正式な受動形の用法が見られる。

[24] なお, “estre + p.p.” の形の複合過去には,異態動詞(デポネント)が影響を及ぼしたと考えられる。すなわち,形は受動ながら意味は能動であり,さらに動詞の完了形に近い “locutus esse” が “ventus esse” のような形の完了形の手本になったといえる。

[25] Rickard (伊藤・高橋訳 1995):p. 15.

[26] ただしこの「文語ラテン語」は「古典ラテン語」を規範としつつも,やはりある程度は「口語ラテン語」を反映し,すでに変質していた。

[27] Herman (新村・国原訳 1971): pp. 123-125. 尚,比較音声学の立場から根本的な特色の幾つかにおける変化が3世紀には既に生じていたとする立場もあるが (Straka, G. (1953) “Observations sur la chronologie et les dates de quelques modifications phonétiques en roman et en français prélittéraire”, Revue des Langue romanes, pp. 247-307) ,Hermanは文献の組織的研究に基づいていないとして懐疑的である。Cf. Herman (新村・国原訳 1971): p. 125.

[28] von Wartburg (田島他訳 1976): pp. 61-65.

[29] この強勢の位置はラテン語の正しいアクセント位置であった。

[30] 例えば語末が “-a” であった場合など。

[31] 以上,Rickard (伊藤・高橋訳 1995):pp. 27-28.

[32] Rickard (伊藤・高橋訳 1995):p. 29.

[33] 「transferre in rusticam Romanam liguam, aut in theotiscam, quo facilius cuncti possint intelligere quae dicuntur”:『皆が話をより容易に理解できるよう,〔説教を〕地方のロマン語かゲルマン語に移すこと』」(von Wartburg (田島他訳 1976): pp. 73.)

[34] 以上,Rickard (伊藤・高橋訳 1995):pp. 32-34.

[35] von Wartburg (田島他訳 1976): p. 74.

[36] Rickard (伊藤・高橋訳 1995):pp. 35-39.

[37] Chaurand (川本・高橋訳 1973): pp. 10-11.

[38] 島岡 (1982): p. 1.

[39] 古フランス語の時代区分に関しての各研究者の見解は,今田 (2002): pp. 21-29 に詳しい。

 

主要参考文献一覧

邦訳書の出版されているものに関して,その書誌情報を[ ](全角大かっこ)内に示した。

本報告では訳書を参照し,以下の凡例の通り本文脚注内に引用した。

 

例:Herman (新村・国原訳 1971): p. 35

 

Allières J. (1982) La formation de la langue française, Paris[大高 順雄訳 (1992) 『フランス語の形成』白水社].

Chaurand, J. (1969) Histoire de la langue française, Paris[川本茂雄,高橋秀雄訳 (1973) 『フランス語史』白水社].

Herman, J. (1967) Le Latin Vulgaire, Paris. [新村猛,國原吉之助訳 (1971) 『俗ラテン語白水社].

Rickard, P. (1989) A History of the French Language, 2nd ed., London[伊藤忠夫,高橋秀雄訳 (1995) 『フランス語史を学ぶ人のために』世界思想社].

von Wartburg, W. (1965) Evolution et structure de la langue française 3e éd., Berne[田島 宏他訳 (1976) 『フランス語の進化と構造』白水社].

今田 良信 (2002) 『古フランス語における語順研究―13世紀散文を資料体とした言語の体系と変化―』溪水社

國原 吉之助編著 (2007) 『新版 中世ラテン語入門』大学書林

島岡 茂 (1982) 『古フランス語文法』大学書林

 

以上

Lucanus, De Bello Civili (Pharsalia)

今学期のラテン語中級で,ルカヌスの『内乱記』を読んでいますので,これもまた訳を載せていきます。例のごとく不定期です。

底本はこちら↓

Braund, S. (2009) A Lucan Reader: Selections from Civil War, Carducchi Publishers

https://www.amazon.co.jp/Lucan-Reader-Selections-Civil-Readers/dp/0865166617/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1507272076&sr=8-1&keywords=lucan+reader

なおテクストは抜粋版なので,一部の行が抜けています。

 

『内乱記』はネロ帝の時代の詩人ルーカーヌスによって詠われた,共和政末期(前1世紀半ば)の三頭政治以降の混乱期を描いた,白銀時代のラテン韻文です。(黄金時代の代表的な詩人,セネカの文体を真似て作られたとのことです)

 

極力各行ごとに訳そうと試みているので,日本語が多少不自然ですがご容赦ください。

詩心は一切ないので,美しく翻訳しようと試みてさえおりません。どうか悪しからず。

 

LIBER PRIMVS

第1巻

 

Bella per Emathios plus quam ciuilia campos

エマンティアの野で繰り広げられた,内乱より恐ろしき戦争を;

iusque datum sceleri canimus, populumque potentem

悪行に与えられた権利を,私は歌おう:そして勝者たる人々,

in sua uictrici conuersum uiscera dextra

すなわちその勝利の右手に腸をかき集めた人々を;

cognatasque acies, et rupto foedere regni

身内同士の戦列を;そして専制の盟約が破れ,

certatum totis concussi uiribus orbis                  5

揺さぶられた世界の全力を以ての戦い,

in commune nefas, infestisque obuia signis

すなわち両者の涜神への戦いを;悪意ある軍旗を迎えうつ

signa, pares aquilas et pila minantia pilis.

軍旗を;対抗する二組の鷲旗を;投槍を脅かす投槍を(歌おう)。

quis furor, o ciues, quae tanta licentia ferri?

何という狂乱か,同胞たちよ,何という,これほどまでの剣の放縦であることか?

gentibus inuisis Latium praebere cruorem

敵意ある異国人にラテンの血を奉ずることが,

cumque superba foret Babylon spolianda tropaeis                  10

また,傲慢なバビュローン(パルティア)は戦利品を略奪されるべきであるのに,

Ausoniis umbraque erraret Crassus inulta

アウソニアで得た戦利品を,クラッススが復讐されていない影としてさまよう時に,

bella geri placuit nullos habitura triumphos?

凱旋式なき戦争が行われることが,良かったとでもいうのか?

heu, quantum terrae potuit pelagique parari

ああ,どれほどの陸と海が得られたのか,

hoc quem ciuiles hauserunt sanguine dextrae,

市民たちが流した右手の血の代償として,

unde uenit Titan et nox ubi sidera condit                  15

そこからはティタンが訪れ,夜が天を隠し,

quaque dies medius flagrantibus aestuat horis

南中する日が光り輝く時を伴って沸き立ち,

et qua bruma rigens ac nescia uere remitti

凍って,春に和らげられることを知らない冬が

astringit Scythico glacialem frigore pontum!

スキュティアの寒さをもって,氷のポントゥスを凍てつかせることだ!

sub iuga iam Seres, iam barbarus isset Araxes

今やセレス人(中国人)たちも,今や蛮族アラクセースも軛のもとへ降り

et gens siqua iacet nascenti conscia Nilo.                  20

生まれゆくナイル(ナイルの源流)に住む何らかの民族もそれを自覚しているだろう。

tum, si tantus amor belli tibi, Roma, nefandi,

その時に,ローマよ,もしお前に憎むべき戦いへの斯様な愛があるならば,

totum sub Latias leges cum miseris orbem,

全ての世界をラティウムの法の下においたその時に,

in te uerte manus: nondum tibi defuit hostis.

手を自身に向けるがよい:そしてお前にはまだ敵が欠けていない。

at nunc semirutis pendent quod moenia tectis

しかしそれなのに今や半壊した家々に城壁がすがりつき,

urbibus Italiae lapsisque ingentia muris                  25

イタリアの都市には,そして崩れた壁には,巨大な

saxa iacent nulloque domus custode tenentur

石が横たわり,家は一人の番人によっても占められず,

rarus et antiquis habitator in urbibus errat.

古都にて彷徨う住人もまた稀である。

horrida quod dumis multosque inarata per annos

しかし幾年にも渡って茨によって荒れた未墾の地であるのだ

Hesperia est desuntque manus poscentibus aruis.

ヘスペリアは,そして耕地は耕し手を求めてしかし満たされない。

non tu, Pyrrhe ferox, nec tantis cladibus auctor                  30

お前ではないのだ,勇猛なるピュロスよ,そしてフェニキアの将(ハンニバル)でもないのだ,斯様な破滅を

Poenus erit: nulli penitus descendere ferro

もたらすのは:誰も剣を以て奥深くえぐるには

contigit; alta sedent ciuilis uolnera dextrae.

至らなかった;市民の右手の深い傷が突き刺さるのだ。

quod si non aliam uenturo fata Neroni

しかし運命が,ネロが到来するより他の

inuenere uiam magnoque aeterna parantur

道を得なかったのならば,そして永遠の王国が

regna deis caelumque suo seruire Tonanti                  35

多くの神々によって設えられ,天が雷轟く彼の方(ユピテル)に隷従するということが

non nisi saeuorum potuit post bella gigantum,

ただ獰猛なギガンテスとの戦いの後になって可能になるのならば,

iam nihil, o superi, querimur; scelera ipsa nefasque

今や決して,神々よ,我々は嘆きません;犯罪と涜神そのものが

hac mercede placent. diros Pharsalia campos

この代価でよしとすることにしよう。パルサーリアーは恐ろしき平原を,

inpleat et Poeni saturentur sanguine manes,

埋め尽くすがよい,そしてフェニキア人の手は血で以て満たされるが良い,

ultima funesta concurrant proelia Munda.                  40

最後の戦いが災いなるムンダにて行われるがよい。

his, Caesar, Perusina fames Mutinaeque labores

皇帝よ,ペルシアの飢餓とムンティナの困窮が,この

accedant fatis et quas premit aspera classes

災厄に付け加わるがよい,そして荒れ模様のレウカスが沈める艦隊も

Leucas et ardenti seruilia bella sub Aetna.

燃えるアエトゥナ山の麓における奴隷の戦いも(付け加わるがよい)。

multum Roma tamen debet ciuilibus armis

それにもかかわらず,ローマは多くを市民兵に負っているのだ,

quod tibi res acta est.                  45

あなた(皇帝)のために事は為されたのだから。

 

[...]

 

fert animus causas tantarum expromere rerum,       67

これほどのことの原因を明らかにすることを魂が求めるのであり,

inmensumque aperitur opus, quid in arma furentem

無限の勤めが明るみに出されたのである,何が戦争へと,荒れ狂う

inpulerit populum, quid pacem excusserit orbi.

民を誘ったのか,何が世界の平和を奪い去ったのであるか。

inuida fatorum series summisque negatum                  70

運命の嫉妬深い連鎖か,あるいは禁じられたことか,頂きに

stare diu nimioque graues sub pondere lapsus

長く立つことを;あるいは重荷の下に沈み,過剰な重量に

nec se Roma ferens. sic, cum conpage soluta

自ら耐えかねるローマか。そのように,宇宙の連鎖が解け

saecula tot mundi suprema coegerit hora

最後の時がこのような時代を凝縮(終了)させ

antiquum repetens iterum chaos, ignea pontum                   75/76

再び太古の混沌をめがけてゆく時,大海へと燦然たる

astra petent, tellus extendere litora nolet

星々は飛び込み,大地は海浜を広げることを望まず,

excutietque fretum, fratri contraria Phoebe

そして海を押しのけ,月の女神ポイベは弟に背いて

ibit et obliquum bigas agitare per orbem

回り,傾いた軌道を通って二頭立ての馬車を駆ることを

indignata diem poscet sibi, totaque discors

不服として自身のもとに神を呼び,そして不同たる全ての

machina diuolsi turbabit foedera mundi.                  80

道具は,引き裂かれた宇宙の理をかき乱すであろう。

in se magna ruunt: laetis hunc numina rebus

大きなものは自らにおいて崩壊する:神々の意志は,栄華ある事物に

crescendi posuere modum. nec gentibus ullis

繁栄する者のこれらの規則を据えたのだ。どんな民族にも

commodat in populum terrae pelagique potentem

委ねはしない,大地と海の支配者への

inuidiam Fortuna suam. tu causa malorum

彼女の嫉妬を,フォルトゥナ(幸運)は。あなたが原因である,悪しき

facta tribus dominis communis, Roma, nec umquam                  85

出来事の,3人の支配者の共有物であるローマよ,そして決して

in turbam missi feralia foedera regni.

動乱へと放たれることのなかった専制の,死を招く盟約が原因でもある。

o male concordes nimiaque cupidine caeci,

ああ,悪しく協和する者たちよ,度を超えた欲望に目が眩んだ者たちよ,

quid miscere iuuat uires orbemque tenere

共に力を合わせ,世界を3人の間で支配することが何を喜ばせるというのだ?

in medio dum terra fretum terramque leuabit

大地が海を,そして空が大地を持ち上げ,

aer et longi uoluent Titana labores                  90

そして長らくの労役がティタンを回転させ,

noxque diem caelo totidem per signa sequetur,

夜が空で日を,同じだけ多くの星座を通って追いかける間,

nulla fides regni sociis, omnisque potestas

専制の連合者に何らの信義もなく,権力はあらゆる

inpatiens consortis erit. nec gentibus ullis

同僚に忍耐しなかった。どんな民族も

credite nec longe fatorum exempla petantur:

信じることなかれ,宿命の例は遠くに追い求められるのではない:

fraterno primi maduerunt sanguine muri.                  95

始めの城壁からして兄弟(レムス)の血によって濡れていたのである。

nec pretium tanti tellus pontusque furoris

そしてこれほどの狂乱の代償は,土地や海

tunc erat: exiguum dominos commisit asylum.

ではその時なかった:狭小なアシュルムが支配者たちを対抗させたのである。

      temporis angusti mansit concordia discors

窮迫した状況の不協和の協和は存続し

paxque fuit non sponte ducum; nam sola futuri

平和は支配者たちの意思によるものではなかった;というのも将来の戦争の

Crassus erat belli medius mora. qualiter undas                  100

唯一の障害としてクラッススが間に立っていたからだ。それは恰も波を

qui secat et geminum gracilis mare separat Isthmos

切り分け,双の海を切り分ける狭いイストモス(地峡)のようである,

nec patitur conferre fretum, si terra recedat,

彼は海が混ざるのを許さず,あたかも地峡(イストモス)が退いたならば

Ionium Aegaeo frangat mare, sic, ubi saeua

イオニアの海はアエゲウスによって轢き潰されることとなる,同じように,荒々しい

arma ducum dirimens miserando funere Crassus

支配者の武器を切り離すクラッススが哀れな死によって

Assyrias Latio maculauit sanguine Carrhas,                  105

アッシュリアのカッラエをラテン人の血で染めた時,

Parthica Romanos soluerunt damna furores.

パルティア人の損失はローマ人たちの狂気を解き放った。

plus illa uobis acie, quam creditis, actum est,

汝らによる彼の戦闘は,汝らが思うよりも重大であったのだ,

Arsacidae: bellum uictis ciuile dedistis.

アルサケスの民よ:汝らは敗者に内乱を与えたのだ。

diuiditur ferro regnum, populique potentis,

専制は剣によって分かたれ,支配の人民の-

quae mare, quae terras, quae totum possidet orbem,                  110

海を,陸を,すべての世界を領有する人民の,

non cepit fortuna duos. nam pignora iuncti

幸運も2人を受け入れなかった。というのも血縁の繋がりの証と

sanguinis et diro ferales omine taedas

不吉の予兆による破滅的な結婚を

abstulit ad manes Parcarum Iulia saeua

冥界へとユリアが奪い去ったのだ,パルカたちの荒々しい

intercepta manu. quod si tibi fata dedissent

手によって命を奪われたユリアが。それ故に,もし運命が汝に

maiores in luce moras, tu sola furentem                  115

陽の光の中にさらなる猶予を与えていたならば,汝一人のみが荒れ狂う

inde uirum poteras atque hinc retinere parentem

夫をそこから,さらに両親をそこから抑えることが,

armatasque manus excusso iungere ferro,

そして剣を振り落とし,戦準備を整えた手を繋がせることができただろうに,

ut generos soceris mediae iunxere Sabinae.

サビニの女性たちが間に立って婿たちを姑達と結びつけることができたように。

morte tua discussa fides bellumque mouere

汝の死によって信義は崩れ去り,戦争を開始する

permissum ducibus. stimulos dedit aemula uirtus.                  120

許しが将軍たちに許されたのである。競い合う果断さが刺激を与えた。

tu, noua ne ueteres obscurent acta triumphos

汝よ,新たな偉業がかつての勝利を曇らせはしないかと,

et uictis cedat piratica laurea Gallis,

そしてガリア人を打ち負かしたことによって海賊への桂冠の勝利が消え去るのではないかと,

Magne, times; te iam series ususque laborum

マグヌスよ,汝は恐れていたのだ;今や苦闘の継続と熟練が汝(カエサル)を

erigit inpatiensque loci fortuna secundi;

奮い立たせ,第二の地位に耐え難い幸運が奮い立たせた;

nec quemquam iam ferre potest Caesarue priorem                  125

今や誰をも忍ぶことができなかったのだ,カエサルより前に出る者を,

Pompeiusue parem. quis iustius induit arma

ポンペイウスに釣り合う者を。誰が正当に武器を取ったか,

scire nefas: magno se iudice quisque tuetur;

知ることは罪である:各々が偉大なる裁判官によって弁護されていたのである;

uictrix causa deis placuit sed uicta Catoni.

勝者の道理は神に気に入られ,敗者はカトーに気に入られた。

nec coiere pares. alter uergentibus annis

しかし出会った者たちは,並び立たなかった。一方(ポンペイウス)は人生が斜陽を迎え

in senium longoque togae tranquillior usu                  130

老齢へと向かい,トーガの長らくの着用によってより平穏であり

dedidicit iam pace ducem, famaeque petitor

今や平和によって将軍たることを忘れ,名声の渇望者たる彼は

multa dare in uolgus, totus popularibus auris

多くのものを民衆へと与え,何事につけても世論によって

inpelli plausuque sui gaudere theatri,

動かされ,彼の名がつく劇場の喝采を喜び,

nec reparare nouas uires, multumque priori

新たな権力を得ることもせず,大いにかつての

credere fortunae. stat magni nominis umbra,                  135

幸運を頼みにするのであった。

 

 

続く(最終更新日:2017年10月20日)

IG I3 78 a, b (DE PRIMITIIS ELEUSINIIS)

IG I3 78 a, b (DE PRIMITIIS ELEUSINIIS: エレウシスに捧げる初穂について) (435 BC?)

= ML73, OR 141

 

【原文】

 

IG I3 78 a

1            [Τιμο]τέλ[ε]ς Ἀχαρνε[ὺς] ἐγραμμάτευε.

              [ἔδοχσ]εν τε͂ι βολε͂ι καὶ το͂ι δέμοι· Κεκροπὶς ἐπρυτάνευε, Τιμοτέ-

              [λες ἐ]γραμμάτευε, Κυκνέας ἐπεστάτε· τάδε οἱ χσυγγραφε͂ς χσυνέ-

              [γρ]αφσαν· ἀπάρχεσθαι τοῖν θεοῖν το͂ καρπο͂ κατὰ τὰ πάτρια καὶ τὲ-

5            ν μαντείαν τὲν ἐγ Δελφο͂ν Ἀθεναίος ἀπὸ το͂ν ℎεκατὸν μεδίμνον [κ]-

              ριθο͂ν μὲ ἔλαττον ἒ ℎεκτέα, πυρο͂ν δὲ ἀπὸ το͂ν ℎεκατὸν μεδίμνον μ-

              ὲ ἔλαττον ℎεμιέκτεον· ἐὰν δέ τις πλείο καρπὸν ποιε͂ι ἒ τ[οσοῦτο]-

              ν ἒ ὀλείζο, κατὰ τὸν αὐτὸν λόγον ἀπάρχεσθαι. ἐγλέγεν δὲ [τὸς δ]εμ-

              άρχος κατὰ τὸς δέμος καὶ παραδιδόναι τοῖς ℎιεροποιοῖς τοῖς

10          Ἐλευσινόθεν Ἐλευσῖνάδε. οἰκοδομε͂σαι δὲ σιρὸς τρε͂ς Ἐλευσῖν-

              ι κατὰ τὰ πάτρια ℎόπο ἂν δοκε͂ι τοῖς ℎιεροποιοῖς καὶ το͂ι ἀρ[χ]ιτ-

              έκτονι ἐπιτέδειον ἐ͂ναι ἀπὸ το͂ ἀργυρίο το͂ τοῖν θεοῖν. τὸ[ν δὲ κα]-

              ρπὸν ἐνθαυθοῖ ἐμβάλλεν ℎὸν ἂν παραλάβοσι παρὰ το͂ν δεμάρ[χον],

              ἀπάρχεσθαι δὲ καὶ τὸς χσυμμάχος κατὰ ταὐτά. τὰς δὲ πόλες [ἐγ]λ[ο]-

15          γέας ℎελέσθαι το͂ καρπο͂, καθότι ἂν δοκε͂ι αὐτε͂σι ἄριστα ὁ καρπὸ-

              [ς] ἐγλεγέσεσθαι· ἐπειδὰν δὲ ἐγλεχθε͂ι, ἀποπεμφσάντον Ἀθέναζε·

              τὸς δὲ ἀγαγόντας παραδιδόναι τοῖς ℎιεροποιοῖς τοῖς Ἐλευσι-

              νόθεν Ἐλευσῖνάδε· ἐ[ὰ]ν δὲ μὲ παραδέχσονται πέντε ἑμερο͂ν vvvv

              ἐπειδὰν ἐπαγγελε͂ι, παραδιδόντον το͂ν ἐκ τε͂ς πόλεος ℎόθεν ἂν [ἐ͂]-

20          [ι] ὁ κα[ρπ]ός, εὐθυνόσθον ℎοι ℎιεροποιοὶ χιλίαισιν v δραχμε͂σι [ℎ]-

              [έκασ]τος· καὶ παρὰ το͂ν δεμάρχον κατὰ ταὐτὰ παραδέχεσθαι. [κέρ]υ-

              [κα]ς δὲ ℎελομένε ℎε βολὲ πεμφσάτο ἐς τὰς πόλες ἀ[γ]γέλλον[τ]ας [τὰ]

              [νῦν] ℎεφσεφισμένα το͂ι δέμοι, τὸ μὲν νῦν ἐ͂ναι ℎος τάχιστα, τὸ δὲ [λ]-

              οιπὸν ℎόταν δοκε͂ι αὐτε͂ι. κελευέτο δὲ καὶ ℎο ℎιεροφάντες καὶ [ὁ]

25          δαιδο͂χος μυστερίοις ἀπάρχεσθαι τὸς ℎέλλενας το͂ καρπο͂ κατὰ

              τὰ πάτρια καὶ τὲν μαντείαν τὲν ἐγ Δελφο͂ν. ἀναγράφσαντες δὲ ἐ[μ]

              πινακίοι τὸ μέτρον το͂ καρπο͂ το͂ τε παρὰ το͂ν δεμάρχον κατὰ τὸ[ν δ]-

              [ε͂]μον ℎέκαστον καὶ το͂ παρὰ το͂ν πόλεον κατὰ τὲν πόλιν ℎεκάσ[τεν]

              [κ]αταθέντον ἔν τε το͂ι Ἐλευσινίοι Ἐλευσίνι καὶ ἐν το͂ι βολ[ευτ]ε-

30          [ρ]ίοι. ἐπαγγέλλεν δὲ τὲν βολὲν καὶ τε͂σι ἄλλεσι πόλεσιν [τ]ε͂[σι] ℎε-

              [λ]λενικε͂σιν ἁπάσεσι, ℎόποι ἂν δοκε͂ι αὐτε͂ι δυνατὸν ἐ͂ναι, λ[έγο]ν-

              τας μὲν κατὰ ℎὰ Ἀθεναῖοι ἀπάρχονται καὶ οἱ χσύμμαχοι, ἐκέ[νοι]-

              [ς] δὲ μὲ ἐπιτάττοντας, κελεύσοντας δὲ ἀπάρχεσθαι, ἐὰν βόλονται,

              [κ]ατὰ τὰ πάτρια καὶ τὲν μαντείαν τὲν ἐγ Δελφο͂ν. παραδέχεσθαι δ-

35          ὲ καὶ παρὰ τούτον το͂ν πόλεον ἐάν τις ἀπάγει τὸς ℎιεροποιὸς κα-

              τὰ ταὐτά. θύεν δὲ ἀπὸ μὲν το͂ πελανο͂ καθότι ἂν Εὐμολπίδαι [ἐχσℎε]-

              [γο͂]νται, τρίττοιαν δὲ βόαρχον χρυσόκερον τοῖν θεοῖν ℎεκα[τέρ]-

              [αι ἀ]πὸ το͂ν κριθο͂ν καὶ το͂ν πυρο͂ν καὶ το͂ι Τριπτολέμοι καὶ το͂ι [θε]-

              ο͂ι καὶ τε͂ι θεᾶι καὶ το͂ι Εὐβόλοι ℎιερεῖον ℎεκάστοι τέλεον καὶ

40          τε͂ι Ἀθεναίαι βο͂ν χρυσόκερον· τὰς δὲ ἄλλας κριθὰς καὶ πυρὸς ἀπ-

              οδομένος τὸς ℎιεροποιὸς μετὰ τε͂ς βολε͂ς ἀναθέματα ἀνατιθέν-

              αι τοῖν θεοῖν, ποιεσαμένος ℎαττ’ ἂν το͂ι δέμοι το͂ι Ἀθεναίον δοκε͂-

              ι, καὶ ἐπιγράφεν τοῖς ἀναθέμασιν, ℎότι ἀπὸ το͂ καρπο͂ τε͂ς ἀπαρχε͂-

              ς ἀνεθέθε, καὶ ℎελλένον τὸν ἀπαρχόμενον· [τοῖ]ς δὲ ταῦτα ποιο͂σι

45          πολλὰ ἀγαθὰ ἐ͂ναι καὶ εὐκαρπίαν καὶ πολυκαρπία[ν, ℎοί]τινες ἂν

              [μ]ὲ ἀδικο͂σι Ἀθεναίος μεδὲ τὲν πόλιν τὲν Ἀθεναίον μεδὲ τὸ θεό. v

              [Λ]άμπον εἶπε· τὰ μὲν ἄλλα καθάπερ αἱ χσυγγραφαὶ τε͂ς ἀπαρχε͂ς το͂

              καρπο͂ τοῖν θεοῖν· τὰς δὲ χσυνγραφὰς καὶ τὸ φσέφισμα τόδε ἀναγ-

              ραφσάτο ℎο γραμματεὺς ℎο τε͂ς βολε͂ς ἐν στέλαιν δυοῖν λιθίναι-

50          ν καὶ καταθέτο τὲν μὲν Ἐλευσῖνι ἐν το͂ι ℎιερο͂ι τὲν δὲ ℎετέραν [ἐ]-

              μ πόλει· ℎοι δὲ πολεταὶ ἀπομισθοσάντον τὸ στέλα· ℎοι δὲ κολ[ακρ]-

              έται δόντον τὸ ἀργύριον. ταῦτα μὲν πε[ρ]ὶ τε͂ς ἀπαρχε͂ς το͂ καρ[π]ο͂ [τ]-

              οῖν θεοῖν ἀναγράφσαι ἐς τὸ στέλ[α], με͂να δὲ ⋮⋮⋮ ἐμβάλλεν ℎεκατονβ-

              αιο͂να τὸν νέον ἄρχοντα τὸν δὲ βασ[ι]λέα ℎορίσαι τὰ ℎιερὰ τὰ ἐν τ[ο͂]-

55          ι Πελαργικο͂ι, καὶ τὸ λοιπὸν μὲ ἐνℎιδρύεσθαι βομὸς ἐν το͂ι Πελα-

              ργικο͂ι ἄνευ τε͂ς βολε͂ς καὶ το͂ δέμο, μεδὲ τὸς λίθος τέμνεν ἐκ το͂ [Π]-

              ελαργικο͂, μεδὲ γε͂ν ἐχσάγεν μεδὲ λίθος. ἐὰν δέ τις παραβαίνει v

              τ⋮⋮⋮ούτον τι, ἀποτινέτο πεντακοσίας δραχμάς, ἐσαγγελλέτο δὲ ℎ-

              [ο] βασιλεὺς ἐς τὲν βολέν. περὶ δὲ το͂ ἐλαίο ἀπαρχε͂ς χσυγγράφ-

60          σας Λάμπον ἐπιδειχσάτο τε͂ι βολε͂ι ἐπὶ τε͂ς ἐνάτες πρυτανείας·

              ℎε δὲ βολὲ ἐς τὸν δε͂μον ἐχσενενκέτο ἐπάναγκες.

 

IG I3 78 b

14                                   [ἐγλο]-

15          [γέας ℎελέσθαι τ]ο͂ καρπο͂, [καθότι ἂν δοκε͂ι αὐτε͂σι ἄριστα ℎο καρπ]-

              [ὸς ἐγλεγέσεσθ]αι· ἐπειδὰ[ν δὲ ἐγλεχθε͂ι, ἀποπεμφσάντον Ἀθέναζ]-

              [ε· τὸς δὲ ἀγαγό]ντας παραδι[δόναι τοῖς ℎιεροποιοῖς τοῖς Ἐλευσ]-

              [ινόθεν Ἐλευ]σ̣ῖνάδε· ἐὰν δὲ μ̣[ὲ παραδέχσονται πέντε ἑμερο͂ν ἐπε]-

              [ιδὰν ἐπαγγελ]ε͂ι, παραδιδόν[τον το͂ν ἐκ τε͂ς πόλεος ℎοπόθεν ἂν ἐ͂ι]

20          [ὁ καρπός, εὐθ]υνέσθον ℎοι ℎι[εροποιοὶ χιλίαις δραχμαῖς ℎέκασ]-

              [τος· καὶ παρὰ] το͂ν δεμάρχο[ν κατὰ ταὐτὰ παραδέχεσθαι. κέρυκας δ]-

              [ὲ ℎελομένε ℎ]ε̣ β̣[ο]λ̣[ὲ κτλ.]

 

【翻訳】

 

紀元前5世紀後半辺りまではアテナイの碑文はアッティカ書体で書かれており,所謂我々が文法書などで学ぶギリシア語とは文字の対応などが異なっています。

 

以下が,分かりやすいように校訂記号を外して(所謂)通常のギリシア語に直したのとその訳です。

 

(78a)

Τιμοτέλης Ἀχαρνεὺς ἐγραμμάτευε.

アカルナイ第6部族のティモテレースが書記を務めていた。

 

ἔδοξεν τῇ βουλῇ καὶ τῷ δήμῳ·

評議会と民会が決議した:

 

Κεκροπὶς ἐπρυτάνευε, Τιμοτέλης ἐγραμμάτευε, Κυκνέας ἐπεστάτε·

ケクロピス第7部族が当番評議員であり,ティモテレース[1]が書記であり,キュクネアース[2]が議長であった:

 

τάδε οἱ χσυγγραφῆς ξυνέγραψαν·

起草委員は以下のように起草した[3]

 

ἀπάρχεσθαι τοῖν θεοῖν τοῦ καρποῦ κατὰ τὰ πάτρια καὶ τὴν μαντείαν τὲν ἐγ Δελφῶν Ἀθηναίους ἀπὸ τῶν ἑκατὼν μεδίμνων κριθῶν μὴ ἔλαττον ἤ ἑκτέα, πυρῶν δὲ ἀπὸ τῶν ἑκατὼν μεδίμνων μὴ ἔλαττον ἑμιέκτεον·

父祖以来の慣習とデルフォイからの神託に従って,二柱神[4]に対してアテナイ人たちは収穫物のうち,100メディムノスの大麦につき6分の1メディムノスより少なくならない量で,100メディムノスの小麦につき12分の1メディムノスより少なくならない量で初穂を捧げるべし[5]

 

ἐὰν δέ τις πλείο καρπὸν ποιῆι ἒ τοσοῦτον ἢ ὀλείζω, κατὰ τὸν αὐτὸν λόγον ἀπάρχεσθαι.

そしてある者がより多くの,或いはより少ない収穫物を産出したならば,同じ割合に従って初穂を捧げるべし:

ἐγλέγεν δὲ τοὺς δημάρχους κατὰ τοὺς δήμους καὶ παραδιδόναι τοῖς ℎιεροποιοῖς τοῖς Ἐλευσινόθεν Ἐλευσῖνάδε.

そしてデーマルコスがデーモスごとに徴収すべし,そしてエレウシスからの犠牲委員[6]にエレウシスにおいて手渡すべし:

 

οἰκοδομῆσαι δὲ σιροὺς τρεῖς Ἐλευσῖνι κατὰ τὰ πάτρια ὅπου ἂν δοκεῖν τοῖς ℎιεροποιοῖς καὶ τῷ ἀρχιτέκτονι ἐπιτήδειον εἶναι ἀπὸ τοὺ ἀργυρίου τοῦ τοῖν θεοῖν.

そして父祖以来の慣習に従って,犠牲委員と建築主任が適切と考える任意の場所に,二柱神の資金によってエレウシスにおいて3つの蔵を建てるべし[7]

 

τὸν δὲ καρπὸν ἐνθαυθοῖ ἐμβάλλειν ὃν ἂν παραλάβωσι παρὰ τῶν δημάρχων, ἀπάρχεσθαι δὲ καὶ τοὺς ξυμμάχους κατὰ ταὐτά.

そして犠牲委員はデーマルコスから受け取ったものはなんでも収蔵すべし,そして同盟諸都市もまた,同様の条件に従って初穂を収めるべし:

 

τὰς δὲ πόλεις ἐγλογέας ἑλέσθαι τοῦ καρποῦ, καθότι ἂν δοκῆι αὐτῇσι ἄριστα ὁ καρπὸς ἐγλεγέσεσθαι·

そして同盟諸都市は,収穫物が徴収されることが最も円滑に行われるであろうと自らにとって考えられる任意の方法で収穫物の初穂徴収官[8]を選ぶべし:

 

ἐπειδὰν δὲ ἐγλεχθῆι, ἀποπεμφσάντων Ἀθήναζε·

そして徴収されたらいつでも,アテナイ人の元へと送るべし:

 

τὸς δὲ ἀγαγόντας παραδιδόναι τοῖς ℎιεροποιοῖς τοῖς Ἐλευσινόθεν Ἐλευσῖνάδε·

そして運搬した者たちはエレウシスからの犠牲委員にエレウシスにおいて手渡すべし:

 

ἐὰν δὲ μὴ παραδέξωνται πέντε ἡμερῶν vvvv[9] ἐπειδὰν ἐπαγγελῆι, παραδιδόντων τῶν ἐκ τῆς πόλεος ὅθεν ἂν εἷ ὁ καρπός, εὐθυνόσθον οἱ ἱεροποιοὶ χιλίαισιν v δραχμῇσι ἕκαστως·

そしてもし収穫物がそこから来るであろうところのポリスから来た人々が手渡しているにも関わらず,それが告示されてから5日以内に犠牲委員が受け取らなかったならば,犠牲委員は各々1000ドラクマの罰金が課されるべし:

 

καὶ παρὰ τῶν δεμάρχων κατὰ ταὐτὰ παραδέχεσθαι.

デーマルコスのもとからも,犠牲委員は同様にして受け取るべし[10]

 

κήρυκας δὲ ἑλομένη ἡ βουλὴ πεμφσάτο ἐς τὰς πόλεις ἀγγέλλοντας τὰ νῦν ἑψηφισμένα τῷ δήμῷ, τὸ μὴν νῦν εἶναι ὡς τάχιστα, τὸ δὲ λοιπὸν ὅταν δοκῆι αὐτῇ.

そして評議会は伝令官を選んで同盟諸都市へと送り,今回民会で投票されたことを,差し当たって今は極力早く,そして将来は評議会が決議したらいつでも,報告せよ。

 

κελευέτω δὲ καὶ ὁ ἱεροφάντης καὶ ὁ δᾳδοῦχος μυστηρίοις ἀπάρχεσθαι τοὺς ἕλληνας τοῦ καρποῦ κατὰ τὰ πάτρια καὶ τὴν μαντείαν τὴν ἐγ Δελφῶν.

そしてヒエロファンテース[11]と松明持ち[12]は,ギリシア人たちに対して,密議において穀物の初穂を収めることを,父祖以来の慣習とデルフォイからの神託に従って要請しなさい。

 

ἀναγράφσαντες δὲ ἐμπινακίῳ τὸ μέτρον τοῦ καρποῦ τοῦ τε παρὰ τῶν δημάρχων κατὰ τὸν δῆμον ἕκαστον καὶ τοῦ παρὰ τῶν πόλεων κατὰ τὴν πόλιν ἑκάστεν           καταθέντων ἔν τε τῷ Ἐλευσινίῷ Ἐλευσίνι καὶ ἐν τῷ βουλευτηρίῷ.

そして,デーモス毎にデーマルコスからもたらされた穀物と,ポリスごとに同盟諸都市からもたらされた穀物双方の量を石版において記録に残し,エレウシスにおけるエレウシスの神殿と評議会の議場に保管しなさい。

 

ἐπαγγέλλειν δὲ τὴν βουλὴν καὶ τῇσι ἄλλῇσι πόλεσιν τῇσι ἑλληνικῆσιν ἁπάσῇσι, ὅποι ἂν δοκῆι αὐτῇ δυνατὸν εἶναι, λέγοντας μὴν κατὰ αἵ Ἀθεναῖοι ἀπάρχονται καὶ οἱ ξύμμαχοι, ἐκείνοις δὲ μὴ ἐπιτάττοντας, κελεύσοντας δὲ ἀπάρχεσθαι, ἐὰν βούλωνται,              κατὰ τὰ πάτρια καὶ τὴν μαντείαν τὴν ἐγ Δελφο͂ν.

そして評議会は全ギリシアの他の(同盟諸都市以外の)諸ポリスにも,評議会が通告可能であると見なすところならどこでも通告し,まさにアテナイ人と同盟者たちがそれに従って初穂を捧げるところの事柄を述べ,そして現地の人々に,父祖以来の慣習とデルフォイの神託に従って初穂を捧げることを,もし彼らが望むのならば,強制せずに,要請しなさい[13]

 

παραδέχεσθαι δὲ καὶ παρὰ τούτον τῶν πόλεων ἐάν τις ἀπάγῃ τοὺς ἱεροποιοὺς κατὰ ταὐτά.

そして犠牲委員たちは,どの都市がもってきても,以上のやり方に従ってこれらの諸ポリスから受け取るべし。

 

θύειν δὲ ἀπὸ μὲν τοῦ πελανοῦ καθότι ἂν Εὐμολπίδαι ἐξεγῶνται, τρίττοιαν δὲ βόαρχον χρυσόκερων τοῖν θεοῖν ἑκατέραι ἀπὸ τῶν κριθῶν καὶ τῶν πυρῶν καὶ τῷ Τριπτολέμῷ καὶ τῷ θεῷ καὶ τῇ θεᾲ καὶ τῷ Εὐβόλῷ ἱερεῖον ἑκάστῷ τέλεον καὶ τῇ Ἀθεναίᾳ βῶν χρυσόκερων·

そしてエウモルピダイ家が指示した方法でペラノス[14]を以て供犠を行い,そして角に金箔をまぶした牡牛から始まる3頭の犠牲獣[15]の儀式を二柱神に,大麦と小麦を売った金で,トリプトレムス[16],ハデス,ペルセポネ,エウブレウス[17]に対してそれぞれ成長した犠牲獣を,アテナ女神[18]に対して角に金箔をまぶした水牛を捧げるべし:

 

τὰς δὲ ἄλλας κριθὰς καὶ πυροὺς ἀποδομένους τοὺς ἱεροποιοὺς μετὰ τῆς βουλῆς ἀναθήματα ἀνατιθέναι τοῖν θεοῖν, ποιεσαμένους ℎαττ’ ἂν τῷ δήμῷ τῷ Ἀθεναίον δοκῇ, καὶ ἐπιγράφειν τοῖς ἀναθήμασιν, ℎότι ἀπὸ τοῦ καρποῦ τῆς ἀπαρχῆς ἀνεθέθη, καὶ ἑλλένων τὸν ἀπαρχόμενον·

そして犠牲委員は,評議会とともに残りの大麦と小麦を売り渡し,二柱神に奉納記念物(碑文)を奉献し,アテナイ人の民会が決議したものはなんでも作り,そして穀物の初穂から奉献されたということ,また,ギリシア人の内初穂を捧げた人物名を彫りつけるべし:

 

τοῖς δὲ ταῦτα ποιοῦσι πολλὰ ἀγαθὰ εἶναι καὶ εὐκαρπίαν καὶ πολυκαρπίαν, οἵτινες ἂν μὴ ἀδικοῦσι Ἀθηναίους μηδὲ τὴν πόλιν τὴν Ἀθεναίον μηδὲ τὼ θεώ. v

そして,アテナイ人,アテナイ人のポリス,二柱神に不正を為さないものたちなら誰であれ,それを実行する者たちに,多くの善きこと,豊穣,豊作があるべし

 

Λάμπον εἶπε·

以下のことをラムポン[19]が動議した:

 

τὰ μὲν ἄλλα καθάπερ αἱ χσυγγραφαὶ τῆς ἀπαρχῆς τοῦ καρποῦ τοῖν θεοῖν·

一方で他の点については全く二柱神に対する穀物の初穂の起草の如し:

 

τὰς δὲ ξυνγραφὰς καὶ τὸ ψήφισμα τόδε ἀναγραφσάτω ὁ γραμματεὺς ὁ τῆς βουλῆς ἐν στήλαιν δυοῖν λιθίναιν καὶ καταθέτω τὴν μὴν Ἐλευσῖνι ἐν τῷ ℎιεροῷ τὴν δὲ ἑτέραν ἐμ πόλει·

他方,起草案とこの決議[20]を民会の書記は石製の2つの石柱に刻み,エレウシスにあるものは神域に,もう一方をアクロポリスに置きなさい:

 

οἱ δὲ πωληταὶ ἀπομισθοσάντων τὼ στήλα·

そして契約官[21]たちは2本の石柱を下請けに出しなさい[22]

 

οἱ δὲ κωλακρέται δόντον τὸ ἀργύριον.

そしてコーラクレテース[23]たちは資金を提供しなさい。

 

ταῦτα μὴν περὶ τῆς ἀπαρχῆς τοῦ καρποῦ τοῖν θεοῖν ἀναγράψαι ἐς τὸ στήλα, μῆνα δὲ ⋮⋮⋮ ἐμβάλλειν ἑκατομβαιῶνα τὸν νέον ἄρχοντα

一方で,二柱神に対する穀物の初穂についてのこれらのこと(ここまでの追加動議)を評議会書記は石柱へと刻むべし;他方で,ヘカトンバイオーンの月を新年度の筆頭アルコンは挿入すべし[24]

 

τὸν δὲ βασιλεία ὁρίσαι τὰ ἱερὰ τὰ ἐν τῷ Πελαργικῷ, καὶ τὸ λοιπὸν μὲ ἐνιδρύεσθαι βωμοὺς ἐν τῷ Πελαργικῷ ἄνευ τῆς βουλῆς καὶ τοῦ δήμου, μηδὲ τοὺς λίθους τέμνειν ἐκ τοῦ Πελαργικοῦ, μηδὲ γῆν ἐξάγειν μηδὲ λίθους.

アルコン・バシレウス[25]はペラルギコイ[26]における諸聖域の境界を定めよ,そして何人もペラルギコイに評議会決議と民会決議なしに祭壇を設置してはならず,ペラルギコイから石を切り出してはならず,土や石を持ち去ってはならない。

 

ἐὰν δέ τις παραβαίνῇ v τ⋮⋮⋮ούτων[27] τι, ἀποτινέτω πεντακοσίας δραχμάς, εἰσαγγελλέτο δὲ ὁ βασιλεὺς ἐς τὴν βουλὴν.

そしてもしある者がこれらのうちのあるものを犯したならば,500ドラクマを支払うべし;そしてアルコン・バシレウスは評議会へと弾劾すべし[28]

 

περὶ δὲ τοῦ ἐλαίου ἀπαρχῆς ξυγγράψας Λάμπον ἐπιδειξάτω τῇ βουλῇ ἐπὶ τῆς ἐνάτης πρυτανείας·

そしてオリーブの初穂については,ラムポンが第9プリュタネイアのときに起草して評議会に示せ[29]

 

ἡ δὲ βουλὴ ἐς τὸν δῆμον ἐξενεγκέτο ἐπάναγκης.

そして評議会は民会へと必ず上程しなくてはならない。

 

 

(78b)

ἐγλογέας ἑλέσθαι τοῦ καρποῦ, καθότι ἂν δοκῆι αὐτῇσι ἄριστα ὁ καρπὸς ἐγλεγέσεσθαι·

収穫物が徴収されることが最も円滑に行われるであろうと自らにとって考えられる任意の方法で収穫物の初穂徴収官を選ぶべし:

 

ἐπειδὰν δὲ ἐγλεχθῆι, ἀποπεμφσάντων Ἀθήναζε·

そして徴収されたらいつでも,アテナイ人の元へと送るべし:

 

τὸς δὲ ἀγαγόντας παραδιδόναι τοῖς ℎιεροποιοῖς τοῖς Ἐλευσινόθεν Ἐλευσῖνάδε·

そして運搬した者たちはエレウシスからの犠牲委員にエレウシスにおいて手渡すべし:

 

ἐὰν δὲ μὴ παραδέξωνται πέντε ἡμερῶν ἐπειδὰν ἐπαγγελῆι, παραδιδόντων τῶν ἐκ τῆς πόλεος ὁπόθεν ἂν εἷ ὁ καρπός, εὐθυνόσθον οἱ ἱεροποιοὶ χιλίαισιν δραχμῇσι ἕκαστως·

そしてもし収穫物がそこから来るであろうところのポリスから来た人々が手渡しているにも関わらず,それが告示されてから5日以内に犠牲委員が受け取らなかったならば,犠牲委員は各々1000ドラクマの罰金が課されるべし:

 

καὶ παρὰ τῶν δεμάρχων κατὰ ταὐτὰ παραδέχεσθαι.

デーマルコスのもとからも,犠牲委員は同様にして受け取るべし。

 

κήρυκας δὲ ἑλομένη ἡ βουλὴ κτλ.

そして評議会は伝令官を選んで同盟諸都市へと,

 

【解説もどき】

エレウシスの秘儀において初穂を収めるべきという決議です。脚注でも繰り返していますが,エレウシスという非国家的な祭儀をアテナイの国家祭儀として結びつけようとする動きを伺うことができます。一応435年頃に年代付けられていますが,これは確定ではなく,欠損部が少なく重大な史料であるもののその位置づけが困難であり,年代決定は大きな問題になっています。2つ作成したとありますが,aがエレウシスで発見されたもの,bがアテナイで発見されたものです。

 

[1] アカルナイ人;なお書記は登板評議員である部族以外から選出されます。

[2] ケクロピス人。

[3] この部分は特徴的で,動議した個人の名前が,例えばΛάχης εἴπε·のように記されるのが一般的とは言えます。彼らは,恐らく重要であったこの法案の起草のために動員されたと考えられます。

[4] デーメーテールペルセフォネのこと。

[5] 大麦と小麦の経済的価値は8:10であるとされ,具体的には100メディムノスの大麦は一年で17人を,小麦は20人を養うことができた。ギリシアでは乾燥していても育ちやすい大麦が主流。メディムノスとは体積の単位で,100メディムノスは,財産等級における「重装歩兵級」の資格財産にあたる。

[6] ヒエロポイオス。聖域の管理を担っていた。後にアテナイ民会が任命するエピステタイに取って代わられるようになる。

[7] かなりの徴収量を見込んでいるが,IG I3 391の受領目録を見る限りではこれを満たすほどのものがあったとは考えにくい。

[8] エクロゲウス,のちのアテナイ帝国時代(BC420~)において同盟貢租金を集める役職も同じ名称。

[9] MLの解題には,ἐπειを次の行に書いていたことを失念していて刻んでしまっていたものを消したとある。

[10] 以上の文章はキアスムス構造(交錯配列法)。

[11] エレウシスの秘儀における首領。秘儀の具体的な方法を教える者で,エウモルピダイ家の人々が務めた。

[12] 世襲の役割で,ケーイケス族が務めていた。

[13] エレウシスの秘儀をアテナイの国家祭儀化するプロセスの起こりと解釈される。ヒエロファンテースが各個人に対する要請を担っていた一方で,ポリス単位の要請は評議会が行っていたことを示す。

[14] かつては餅のようなものとされていたが,最近はお粥のようなものであると考えられることが多いらしい。

[15] 恐らく牡牛,山羊,羊であると思われる。

[16] エレウシス人で,デーメーテールの使者として穀物の種を各地に蒔く。ペルセポネを連れ去った。

[17] 神話において,ペルセポネをハデスの元から連れ戻した神,所謂松明持ち。

[18] アテナ女神自体はエレウシスの秘儀とは全く関連がなく,エレウシスの秘儀をアテナイの国家祭儀化する意志のもとに位置づけられたと考えられる。

[19] 著名な神事解釈者,占い師。ペリクレス時代にクセノクリトゥスと共に前444年にトゥリイを建設したこと,前421年のニキアスの和約の宣言に立ち会ったことで知られる。

[20] 起草案と追加同義双方を含む。

[21] 各フュレーから1名選出,計10名。原義は「売る人」で,没収財産の売却や,徴税請負契約,賃貸契約の締結(すなわち「借りる権利を売る」)などを担っていた。

[22] 競売に出すということ。碑文に刻む段階では決まっていたはずの具体的な額が記載されていないことから,安く請け負えるかの入札ではなく,ある決まった予算でどれだけのものを作れるかという入札であったと考えられるかもしれない。

[23] 元々は供犠において犠牲獣の脛を集める役割を持った人のことで,後に公共食事の準備や財務全般を担う役職名となった。

[24] アッティカ暦においてヘカトンバイオーン月はおよそ6~7月。本来閏月はポセイデオーン月(12~1月)の後に入れるものだが確定したものではなく,筆頭アルコンの裁量で政治的に決定された(厳密には太陰太陽暦において閏月は19年の内7回の挿入が必要)。ここでは,エレウシスの密儀に伴って初穂を収めるのがボエードロミオーン月(9~10月)であるため,協定が適用されるまでの猶予期間を増やしておこうと目論んだためと考えられる。なお,アッティカにおける新年はヘカトンバイオーン月で,動議が為されたのは60行目の記述より第8プリュタネイア以前のこと(1プリュタネイアは1年の10分の1なので,およそ初春)。

[25] 9人のアルコンのうち序列第2位の呼称。

[26] アクロポリスの南西の城壁。ペロポネソス戦争において,デルフォイの神託では禁止されていたにも関わらず,郊外からアテナイ人が移住した(Thuc. 2, 17, 1)。特にエレウシスとの関連は見出されない。この禁止事項はこれと関係するかもしれない。また,戦争に伴い市域の人口が増え,住居のために石灰岩が持ち出され,神域がさらに荒廃してしまうことを恐れたとも考えられる。

[27] パンクチュエーションの記号だが,位置が不自然。誤って刻んだものか。

[28] 500バシレウスは罰金の最大限度額。弾劾については民主政転覆罪と役人の法不服従の2種類があったとされるが(近年異論が出されているが,この区分を適切とすると),これは前者に該当する。

[29] 本来エレウシスは穀物に関係するもので,オリーブはアテナ女神に関わるため,これもまた国家祭儀化の目的に位置づけられるかもしれない。

ユスティニアヌス『法学提要』第2巻 (Institutiones Iustiniani, Liber Secundus)

今年のゼミはユスティニアヌスの『法学提要』第2巻の講読(と以前の法学者著作との比較を通じた法学思想の研究)を行っていますので,少しずつ更新していきます。1年間で第2巻をまるごと読み切るというわけではないということで,最後の方はゼミでの検討を経ていないということになってしまいますね…(そこまで行けるのかわかりませんが)

 

ちなみに邦訳が初めて出版されたのは大正時代で,

末松謙澄訳(1913)『ユスチーニアーヌス帝欽定羅馬法學提要』帝国学士院

となっています。古すぎて国会図書館のデジタルアーカイヴ経由にて無料で読むことができます。

ユスティニアヌスの法編纂といえば高校世界史でも扱うほどのものですが,新訳はでないのでしょうか…(⇒よく探したら(よく探さなくても)あったので追加しました。) 

 

矢田一男 (1939) 『ユースティーニアーヌス帝法学撮要』厳翠堂
矢田一男 (1936)「儒帝法学撮要邦訳(1)」法学新報46巻1号
矢田一男 (1936)「儒帝法学撮要邦訳(2)」法学新報46巻4号
矢田一男 (1936)「儒帝法学撮要邦訳(3)」法学新報46巻8号
矢田一男 (1936)「儒帝法学撮要邦訳(4)」法学新報46巻9号
矢田一男 (1936)「儒帝法学撮要邦訳(5)」法学新報46巻12号
矢田一男 (1937)「儒帝法学撮要邦訳(6)」法学新報47巻2号
矢田一男 (1937)「儒帝法学撮要邦訳(7)」法学新報47巻4号
矢田一男 (1937)「儒帝法学撮要邦訳(8)」法学新報47巻6号
矢田一男 (1937)「儒帝法学撮要邦訳(9)」法学新報47巻8号
矢田一男 (1937)「儒帝法学撮要邦訳(10・完)」法学新報47巻9号

津野義堂, 古田裕清, 石田雄一, 森光 (2003)「私たちの主,永遠に尊厳者であるユースティーニアーヌスの法学提要または法学入門」比較法雑誌37巻3号(第1巻1~12章)

津野義堂, 古田裕清, 石田雄一, 森光 (2004)「私たちの主,永遠に尊厳者であるユースティーニアーヌスの法学提要または法学入門」比較法雑誌38巻2号(第1巻13~26章)

津野義堂, 古田裕清, 石田雄一, 森光 (2004)「私たちの主,永遠に尊厳者であるユースティーニアーヌスの法学提要または法学入門」比較法雑誌38巻3号(第2巻1~9章)

津野義堂, 古田裕清, 石田雄一, 森光 (2006)「私たちの主,永遠に尊厳者であるユースティーニアーヌスの法学提要または法学入門」比較法雑誌39巻4号(第2巻10~17章)

 

 

以下テキストと訳です。

テキストはLatin Library (The Institutes of Justinian, Book 1) から引っ張ってきました。

 

DE RERUM DIVISIONE.

物の区分について

 

Superiore libro de iure personarum euimus: modo videamus de rebus. quae vel in nostro patrimonio vel extra nostrum patrimonium habentur. quaedam enim naturali iure communia sunt omnium, quaedam publica, quaedam universitatis, quaedam nullius, pleraque singulorum, quae variis ex causis cuique adquiruntur, sicut ex subiectis apparebit.
前巻においては人の法について説明した。これからは物について見ていくものとする。我々の相続財産内に,我々の相続財産外に,それらは所有される。というのも,全体のうちのいくらかは自然法に基づいて共有物であり,いくらかは国家所有財であり,いくらかは社会のものであり,いくらかは誰のものでもなく,十分な理由(法律問題)によって多様な個々人に与えられる個々のものの最大部分は,言わば論題から明らかになるだろう。

  1. Et quidem naturali iure communia sunt omnium haec: aer et aqua profluens et mare et per hoc litora maris. nemo igitur ad litus maris accedere prohibetur, dum tamen villis et monumentis et aedificiis abstineat, quia non sunt iuris gentium, sicut et mare.
    そしてかたや,全体のうちの以下のものは自然法に基づいて共有物である:空気と流れる水,海と,そして海がそうであるがゆえに海岸もである。従って誰しもが海岸に近づくことが禁止されない,しかしそれは屋敷,記念碑,建築物から遠ざかる限りである;それというのもそれらは,万民法の対象にあるもの―あたかも海のように―ではないからだ。
  2. Flumina autem omnia et portus publica sunt: ideoque ius piscandi omnibus commune est in portibus fluminibusque.
    さらに全ての川と港は国家のものである:そしてそれゆえに,すべての港や川において釣をすることの権利(漁業権)は,共有財である(※)。
    (※)もしくは,港や川において釣をすることの権利(漁業権)は,全ての人々において共有財である
  3. Est autem litus maris, quatenus hibernus fluctus maximus excurrit.
    更に海岸は冬の最大の流れまで広がった範囲で共有物である。
  4. Riparum quoque usus publicus est iuris gentium sicut ipsius fluminis: itaque navem ad eas appellere, funes ex arboribus ibi natis religare, onus aliquid in his reponere cuilibet liberum est, sicuti per ipsum flumen navigare. sed proprietas earum illorum est quorum praediis haerent: qua de causa arbores quoque in iisdem natae eorundem sunt.
    河岸の公共利用もまた,河川それ自体のそれと同様に,万民法のうちの一つである:従って,網をそこに原生である樹木に固く縛って船を陸付し,これに若干の荷物を置くこと誰しもにとって自由である,これは川それ自体を航海するのと同様である。しかし河岸の所有権は,その地所にそれが隣接するところの者にある:その理由で,同じところにある原生の木々もまたその者たちのものである。
  5. Litorum quoque usus publicus iuris gentium est, sicut ipsius maris: et ob id quibuslibet liberum est, casam ibi imponere, in qua se recipiant, sicut retia siccare et ex mare deducere. proprietas autem eorum potest intellegi nullius esse, sed eiusdem iuris esse cuius et mare, et quae subiacent mari terra vel harena.
    海岸の公的利用もまた,海のそれと同様に万民法のうちにあるものである。そしてそのために,自ら休息するところの家をそこに据え置くことは誰しもが自由である;これは網を乾かし,海から遠ざけておくのが自由であるのと同じことである。他方,それらの所有権は誰のものでもないと考えられることができ,しかし海においても,海の下にあるもの―大地,或いは砂地がそのうちにあるところのものと同じ法のうちにあると考えられることができる。
  6. Universitatis sunt, non singulorum, veluti quae in civitatibus sunt theatra, stadia et similia et si qua alia sunt communia civitatium.
    都市にあるが如きもの,例えば,劇場,競技場や同種のものが,或いは,もし他のものについて都市の共同物であるならば,それらは社会のものであり,個々人のものではない。
  7. Nullius autem sunt res sacrae et religiosae et sanctae: quod enim divini iuris est, id nullius in bonis est.
    というのは,それは神の法のもとにあるもので,誰の財のうちにもないからである。
  8. Sacra sunt, quae rite et per pontifices Deo consecrata sunt, veluti aedes sacrae et dona quae rite ad ministerium Dei dedicata sunt, quae etiam per nostrum constitutionem alienari et obligari prohibuimus, excepta causa redemptionis captivorum. si quis vero auctoritate sua quasi sacrum sibi constituerit, sacrum non est, sed profanum. locus autem, in quo sacrae aedes aedificatae sunt, etiam diruto aedificio, adhuc sacer manet, ut et Papinianus scripsit.
    慣習によって祭祀により神に捧げられたもの―神聖なる建物や奉納物のごときもの―,神への奉仕のために慣習に従って奉納されたもの,更に加えて,我等の規定により他人に渡されたり抵当に置かれたりすることを我らが禁じたもの―捕虜の贖いの理由は除く―は神聖なものである。もし却ってある者が,自らの見解であたかも聖物であるかのように自身において設定するのならば,それは神聖ではなく世俗のものとなる。更に神聖な建物が建築された場所は,建築物が破壊されてさえも尚神聖さを保ち続ける;これはパピニアヌスさえもそう記しているのである。
  9. Religiosum locum unusquisque sua voluntate facit, dum mortuum infert in locum suum. in communem autem locum purum invito socio inferre non licet: in commune vero sepulcrum etiam invitis ceteris licet inferre. item si alienus ususfructus est, proprietarium placet, nisi consentiente usufructuario, locum religiosum non facere. in alienum locum, concedente domino, licet inferre: et licet postea ratum habuerit quam illatus est mortuus, tamen religiosus locus fit.
    自らの地所に死者を埋葬する時,各々が自身の意志によって地を神聖なるものとするのである。しかし,共同所有者が不本意である時,純粋な共有地へと埋葬することは許されない。だが,他の者たちが不本意であってさえいても,共同の墓へ埋葬することは許される。同様にもし用益権が他の者に属するのならば,もし用益者が同意しない限り,所有者が土地を宗教物と為さないことが受け入れられる。他の者の土地へと埋葬することは主人が許せば適法である:そして死者が埋葬された後で主人が有効と認めた場合であっても,その地は神聖になる。
  10. Sanctae quoque res, veluti muri et portae, quodammodo divini iuris sunt et ideo nullius in bonis sunt. ideo autem muros sanctos dicimus, quia poena capitis constituta sit in eos qui aliquid in muros deliquerint. ideo et legum eas partes quibus poenas constituimus adversus eos qui contra leges fecerint sanctiones vocamus.
    囲壁や戸の如きものもまた神聖であり,ある程度神の法のうちにあるもので,そしてそれ故誰も財産の中に置くことができない。さて,死刑は壁へと何らかの罪を犯したものに対して規定されたが故に,我々は壁を神聖なるものとして述べるのである。そしてそれ故に,それに基づいて,法に対して事を為した者に対して我々が罰を制定したところの諸法のその一部を,我々は刑罰規定と称するのである。
  11. Singulorum autem hominum multis modis res fiunt: quarundam enim rerum dominium nanciscimur iure naturali, quod, sicut diximus, appellatur ius gentium, quarundam iure civili. commodius est itaque a vetustiore iure incipere. palam est autem, vetustius esse naturale ius, quod cum ipso genere humano rerum natura prodidit: civilia enim iura tunc coeperunt esse, cum et civitates condi et magistratus creari et leges scribi coeperunt.
    更に,多くの方法において物は各個人の所有物となる:というのも,ある物の所有権を我々は自然法―既に述べたがそれは万民法と呼ばれる―によって偶々得るのであり,市民法によって別の物の所有権を我々は得るのである。それ故に,より古い法について始めることがより相応しい。そこで,自然法がより古いということは明らかである;というのも人間の血統それ自体とともに,物の自然法則は生じたからだ:そして市民は,国家が建設されること,官吏が選び出されること,法が記されること,これらが始められた時に始められたのである。
  12. Ferae igitur bestiae et volucres et pisces, id est omnia animalia quae in terra mari caelo nascuntur, simulatque ab aliquo capta fuerint, iure gentium statim illius esse incipiunt: quod enim ante nullius est id naturali ratione occupanti conceditur. nec interest, feras bestias et volucres utrum in suo fundo quisque capiat, an in alieno: plane qui in alienum fundum ingreditur venandi aut aucupandi gratia, potest a domino, si is providerit, prohiberi, ne ingrediatur. quidquid autem eorum ceperis, eo usque tuum esse intellegitur, donec tua custodia coercetur: cum vero evaserit custodiam tuam et in naturalem libertatem se receperit, tuum esse desinit et rursus occupantis fit. naturalem autem libertatem recipere intellegitur, cum vel oculos tuos effugerit vel ita sit in conspectu tuo, ut difficilis sit eius persecutio.
    さて,野獣や鳥,魚,すなわち大地,海,空で生まれるあらゆる動物であるが,それらが何者かによって捕らえられるやいなや,万民法によって直ちにその人物の所有物となるということが開始する:というのも,以前何者のものでもなかったもの,それは自然の道理に従って先占者に許し与えられるからだ。野獣や鳥を,各々が自らの地所で捕らえたか,或いは他者の地所で捕らえたかは重要ではない。もちろん他者の地所へと狩りに赴き,待ち伏せせんと踏み入った者は,所有者によって―もし彼が用心していたならば―立ち入ることが禁じられうるのである。更に汝の得たこれらの動物のうち何でも,汝の監督下にそれらが囲まれる限りは,常に汝の所有物であるということが認識される。しかし,汝の監督を抜け出て,自然の自由へと戻る時,それが汝の所有物であることは中止し,先占者の所有物となる。更にそれが汝の視界を逃れるか,あるいは汝の視界にあるにしてもそれの追跡が困難である時,自然的自由が戻るということが認識される。

 

  1. Illud quaesitum est, an, si fera bestia ita vulnerata sit ut capi possit, statim tua esse intellegatur. quibusdam placuit, statim tuam esse et eo usque tuam videri, donec eam persequaris; quodsi desieris persequi, desinere tuam esse et rursus fieri occupantis. alii non aliter putaverunt tuam esse, quam si ceperis. sed posteriorem sententiam nos confirmamus, quia multa accidere solent, ut eam non capias.
    容易く捕らえられ得るまでに傷つけられた野獣が,直ちに汝の所有物になると認められるのか否かということが考えられてきた。或る者にとっては,そのことは当然の帰結であり,そしてそれを汝が追う限り汝のものとして認識され,そして汝が追うことをやめたら汝の所有物たることが放棄されて先占者のものになるということが望ましいとした。他の者たちは,汝が保持していない限り,汝の所有物であるとみなさなかった。そして我々は後者の見解を裁可する;というのも多くのことが起こりがちで,結果として汝がそれを捕らえられないということになるからである。

 

  1. Apium quoque natura fera est. itaque quae in arbore tua consederint, antequam a te alveo includantur, non magis tuae esse intelleguntur, quam volucres quae in tua arbore nidum fecerint: ideoque si alius eas incluserit, is earum dominus erit. favos quoque si quos hae fecerint, quilibet eximere potest. plane integra re, si provideris ingredientem in fundum tuum, potes eum iure prohibere, ne ingrediatur. examen quod ex alveo tuo evolaverit eo usque tuum esse intellegitur donec in conspectu tuo est nec difficilis eius persecutio est: alioquin occupantis fit.
    蜂の本質も同様に野獣である。従って汝の所有する木の中に定着する蜂は,汝の木によって囲まれる以前において,汝の木に巣を作る鳥と同様に,汝の所有物であるとはみなされない。そしてそれ故,もし他者が蜂を囲んだならば,その人物はその所有者となるであろう。同様に蜂がそこに何らかの巣を作ったならば,誰でもその巣を取り外すことができる。もちろん,もし物事が手付かずのうちに自らの土地に踏み込む人物を用心するならば,その人物を法に則って立ち入らないよう禁ずることができる。汝の木から飛び出した蜂の群れは,汝の目の届く場所におり,その追跡が難しいものではない限り,汝のものであるとみなされる:さもなくば先占者の所有物となる。
    ・「巣」は内容物,例えば蜂蜜も含むとみなされる。

 

  1. Pavonum et columbarum fera natura est. nec ad rem pertinet, quod ex consuetudine avolare et revolare solent: nam et apes idem faciunt, quarum constat feram esse naturam: cervos quoque ita quidam mansuetos habent, ut in silvas ire et redire soleant, quorum et ipsorum feram esse naturam nemo negat. in his autem animalibus, quae ex consuetudine abire et redire solent, talis regula comprobata est, ut eo usque tua esse intellegantur, donec animum revertendi habeant: nam si revertendi animum habere desierint, etiam tua esse desinunt et fiunt occupantium. revertendi autem animum videntur desinere habere, cum revertendi consuetudinem deseruerint.
    孔雀と鳩の本質は野獣である。習性に従って飛び去り,飛び帰ることを習慣とするということは,そのことと関係がない。というのも,その本質が野生であることが明らかであるところの蜂さえも,同じように行動するからだ。同様に,ある人物が森の中を行き来する習慣にあるように牡鹿を手なづけて,それでも尚そのものの本質が野生であることを否定するものは誰もいない。しかしながら習慣により立ち去ったり戻ったりしがちであるこの動物たちにおいて,以下のような規則が認められた;すなわちそれらが復帰意思を持つ限りは汝の所有物であるということが認識される,と:というのももし復帰意思を持つことが中止したならば,無論汝の所有物であることは中止し,先占者の所有物になるからだ。更にそれらが復帰するという習慣を中止した時,復帰意思を持つことを中止したとみなされる。

 

  1. Gallinarum et anserum non est fera natura idque ex eo possumus intellegere, quod aliae sunt gallinae quas feras vocamas, item alii anseres quos feros appellamus. ideoque si anseres tui aut gallinae tuae aliquo casu turbati turbataeve evolaverint, licet conspectum tuum effugerint, quocumque tamen loco sint, tui tuaeve esse intelleguntur: et qui lucrandi animo ea animalia retinet, furtum committere intellegitur.
    雌鶏や鵞鳥の一部は野生動物の類ではなく,このことから我々は以下のように認識することができる;すなわち,それ以外の雌鶏は我々が野生のものと名付けるところの雌鶏であり,同じく,それ以外の鵞鳥は我々が野生のものと名を与えるところの鵞鳥である。そしてそれ故に,もし汝の鵞鳥,或いは雌鶏がある出来事によって混乱し逃げ去ったならば,汝の視界を逸したにも関わらず,しかしながらどこにいようとも,汝の所有物であるということが認識される:そして利益を得ることへの欲によってこの動物たちを持ち続けるものは,窃盗を犯したというように認識される。

 

  1. Item ea quae ex hostibus capimus iure gentium statim nostra fiunt: adeo quidem, ut et liberi homines in servitutem nostram deducantur, qui tamen, si evaserint nostram potestatem et ad suos reversi fuerint, pristinum statum recipiunt.
    これらと同様に,敵から我々が奪った物は,万民法によって直ちに我々の所有物となる。そのことは確かに,自由人さえも我々の奴隷へと陥るほどであり,しかし,もしその人物が我々の支配を脱し,彼の故郷へと帰ったならば,以前の地位を回復する。

 

  1. Item lapilli gemmae et cetera quae in litore inveniuntur, iure naturali statim inventoris fiunt.
    同様に,海岸で探し当てられた宝石等々も,自然法によって直ちに発見者の所有物となる。

 

  1. Item ea quae ex animalibus dominio tuo subiectis nata sunt eodem iure tibi adquiruntur.
    これらと同様に,汝の所有権のうちにある動物から生まれたものは,同じ法に従って汝により獲得される。

 

  1. Praeterea quod per alluvionem agro tuo flumen adiecit, iure gentium tibi adquiritur. est autem alluvio incrementum latens. per alluvionem autem id videtur adici, quod ita paulatim adicitur ut intellegere non possis, quantum quoquo momento temporis adiciatur.
    加えて,寄州作用によって汝の地所に川が付加した物は,万民法によって汝のために獲得される。ところで,寄州作用は土地の目撃されぬ増大である。然して,汝がどれだけの量がどの時間の瞬間に流し込まれたのか認識することができないほどに徐々に流し込まれた限りにおいて,寄州作用によって付加したと見なされる。

 

  1. Quodsi vis fluminis partem aliquam ex tuo praedio detraxerit et vicini praedio appulerit, palam est eam tuam permanere. plane si longiore tempore fundo vicini haeserit, arboresque quas secum traxerit in eum fundum radices egerint, ex eo tempore videntur vicini fundo adquisitae esse.
    もし川の力が汝の地所からある部分を引き摺り去り,隣人の地所に積み上げたならば,もちろんそれは汝の所有物で有り続ける。ただしもちろん,もし長い時間によって隣人の地所にそれが定着し,それとともに引き寄せた木々がこの地所へと根を張ったならば,その時点から隣人の地所に獲得された(付加された)とみなされる。

 

  1. Insula quae in mari nata est, quod raro accidit, occupantis fit: nullius enim esse creditur. at in flumine nata, quod frequenter accidit, si quidem mediam partem fluminis teneat, communis est eorum qui ab utraque parte fluminis prope ripam praedia possident, pro modo latitudinis cuiusque fundi, quae latitudo prope ripam sit. quodsi alteri parti proximior sit, eorum est tantum, qui ab ea parte prope ripam praedia possident. quodsi aliqua parte divisum flumen, deinde infra unitum agrum alicuius in formam insulae redegerit, eiusdem permanet is ager cuius et fuerat.
    海において生じた島は,稀にしか生じないのであるが,先占者の所有物となる:というのも,何者の所有物でもないと考えられるからだ。それに対して,川において生じた島は,頻繁に起こることであり,もし一方でそれが川の中間部分を占めているならば,それぞれの地所の広さに応じて―その広さとは岸の近くにあるものであるが―川の両側において岸の近くに地所を所有する者たちの共有物となる。他方もしそれが両岸のうち一方の側よりも近くにあるならば,ただその側にて岸に近い地所を所有する者たちだけの所有物となる。さらにもし川がある部分において分割され,次いで合流しある者の地所を島の形にしたならば,その地所は以前所有していた同じ者の所有物であり続ける。

 

  1. Quodsi naturali alveo in universum derelicto alia parte fluere coeperit, prior quidem alveus eorum est qui prope ripam eius praedia possident, pro modo scilicet latitudinis cuiusque agri, quae latitudo prope ripam sit; novus autem alveus eius iuris esse incipit, cuius et ipsum flumen, id est publici. quodsi post aliquod tempus ad priorem alveum reversum fuerit flumen, rursus novus alveus eorum esse incipit qui prope ripam eius praedia possident.
    さらにもし本来の河床の残された川が別の地所で流れ始めたならば,古いほうの河床はまさしく岸の近くにその地所を所有する者たちの所有物であり,当然各々の地所の大きさ―すなわち岸の近くの大きさであるところの大きさ―に従い,そして新しい河床は,川それ自体もまたそれに属するところの法に属するということが開始する,すなわち公共物ということである。そしてもしある時間を経て川が最初の河床へ戻ったならば,新しい河床は再び岸の近くにその地所を持つ人物の所有物となるということが開始する。

 

  1. Alia sane causa est, si cuius totus ager inundatus fuerit. neque enim inundatio speciem fundi commutat et ob id, si recesserit aqua, palam est eum fundum eius manere cuius et fuit.
    とはいえ,もしその人物の全ての土地が氾濫にあったのならば,状況は異なっている。というのも反乱は地所の法的状態を変えるものではなく,そしてそのために,もし水が退いたならば,元の持ち主がその人物のその地所を保持するということは明らかである。

 

  1. Cum ex aliena materia species aliqua facta sit ab aliquo, quaeri solet, quis eorum naturali ratione dominus sit, utram is qui fecerit, an ille potius qui materiae dominus fuerit: ut ecce si quis ex alienis uvis aut olivis aut spicis vinum aut oleum aut frumentum fecerit, aut ex alieno auro vel argento vel aere vas aliquod fecerit, vel ex alieno vino et melle mulsum miscuerit, vel ex alienis medicamentis emplastrum aut collyrium composuerit, vel ex aliena lana vestimentum fecerit, vel ex alienis tabulis navem vel armarium vel subsellium fabricaverit. et post multas Sabinianorum et Proculianorum ambiguitates placuit media sententia existimantium, si ea species ad materiam reduci possit, eum videri dominum esse qui materiae dominus fuerat; si non possit reduci, eum potius intellegi dominum qui fecerit: ut ecce vas conflatum potest ad rudem massam aeris vel argenti vel auri reduci, vinum autem aut oleum aut frumentum ad uvas et olivas et spicas reverti non potest, ac ne mulsum quidem ad vinum et mel resolvi potest. quodsi partim ex sua materia, partim ex aliena speciem aliquam fecerit quisque, velut ex suo vino et alieno melle mulsum aut ex suis et alienis medicamentis emplastrum aut collyrium aut ex sua et aliena lana vestimentum fecerit, dubitandum non est, hoc casu eum esse dominum qui fecerit: cum non solum operam suam dedit, sed et partem eiusdem materiae praestavit.
    ある人物によって他人の材料からある形状の物が作られたときは,何者が自然の道理によってそれらの所有者となるのか,(すなわち)作成した者か,あるいはむしろ材料の所有者であるものか,ということが問われ続けてきた。例えばもし何者かが他人の葡萄,あるいはオリーブ,麦穂から,葡萄酒,あるいはオリーブ油,穀物を作ったならば,もしくは他人の金かあるいは銀,銅から何らかの入れ物を作ったならば,もしくは他人の葡萄酒と蜂蜜から蜂蜜酒を合成したならば,もしくは他人の薬から硬膏剤あるいは目軟膏を調合したならば,もしくは他人の羊毛から衣服を作ったならば,もしくは他人の木材から船,あるいは戸棚,腰掛を製造した時である。そしてサビヌス派とプロクルス派の多くの決着のつかない議論の後に,両者の議論の中立的判断が決定された:もしその形態物が原料へと戻されることが為し得たならば,それは材料の所有者であった者が所有者であるとみなされ,もしそうでなければ,それは作成した者が所有者であると判断されるということである。例えば,製造された入れ物は,金,銀,銅の未加工の塊へと戻されることができるが,しかし葡萄酒あるいはオリーブ油,穀物は,葡萄あるいはオリーブ,麦穂へともどされることはできず,さらにまた蜂蜜酒も葡萄酒と蜂蜜へと分離することは決してできない。さらにもし一部を自身の材料から,一部を他人の材料から,ある形態物をある者が生成したならば,例えば自身の葡萄酒と他人の蜂蜜から蜂蜜酒を,もしくは自身と他人の薬から硬膏剤あるいは目軟膏を,もしくは自身と他人の羊毛から衣服を成したのならば,この場合においては,これを成したものが所有者であるということは疑い得ない:なぜならば自身の労力を加えただけでなく,上述の材料の一部を提供したからだ。

 

  1. Si tamen alienam purpuram quis intexuit suo vestimento, licet pretiosior est purpura, accessionis vice cedit vestimento: et qui dominus fuit purpurae, adversus eum qui subripuit habet furti actionem et condictionem, sive ipse est qui vestimentum fecit, sive alius. nam extinctae res licet vindicari non possint, condici tamen a furibus et a quibusdam aliis possessoribus possunt.
    それにもかかわらず,もしある人物が他人の紫色の糸を自身の衣服に縫い付けたのならば,紫色の糸はより高価ではあるが,それは衣服において付属物の地位に帰する:そして紫色の糸の所有者であるところの人物は,盗んだ人物に対して,自身が衣服を成した人物であるにせよ,あるいは他人が衣服を成した人物であるかにせよ,盗みの訴権と弁済権を持つ。というのも,原型を失った物は所有権を主張されることができないとしても,それにもかかわらず,盗人やある他の所有者に於いて(所有権を)同意することができるからだ。

 

  1. Si duorum materiae ex voluntate dominorum confusae sint, totum id corpus quod ex confusione fit utriusque commune est, veluti si qui vina sua confuderint aut massas argenti vel auri conflaverint. sed si diversae materiae sint et ob id propria species facta sit, forte ex vino et melle mulsum aut ex auro et argento electrum, idem iuris est: nam et eo casu communem esse speciem non dubitatur. quodsi fortuitu et non voluntate dominoram confusae fuerint vel diversae materiae vel quae eiusdem generis sunt, idem iuris esse placuit.
    もし二人の材料が所有者の自発性によって合されたならば,結合により成る総体は,恰も彼らがワインを混ぜたり銀や金の塊を溶かしたりしたかの如く,両者の共有物となる。そしてやはり,もし全く異なった材料があり,そしてそのために特殊物が,例えばワインと蜂蜜から蜜酒が,或いは金と銀から合金が生じるようなことがあったならば,同じことが法のうちにある:すなわち,この場合においてさえも構成物が共有材であることは疑い得ない。或いはもし偶然に,そして自発性に依らず,所有者たちの所有物が合されたならば,全く異なった材料であっても同じ種類の材料であっても,同じことが法のうちにあると受け取られてきた。

 

  1. Quodsi frumentum Titii tuo frumento mixtum fuerit, si quidem ex voluntate vestra, commune erit, quia singula corpora, id est singula grana, quae cuiusque propria fuerunt ex consensu vestro communicata sunt. quodsi casu id mixtum fuerit, vel Titius id miscuerit sine voluntate tua, non videtur commune esse, quia singula corpora in sua substantia durant nec magis istis casibus commune fit frumentum quam grex communis esse intellegitur, si pecora Titii tuis pecoribus mixta fuerint: sed si ab alterutro vestrum id totum frumentum retineatur, in rem quidem actio pro modo frumenti cuiusque competit, arbitrio autem iudicis continetur, ut is aestimet, quale cuiusque frumentum fuerit.
    或いはもし,ティティウスの穀物が汝の穀物に混ぜられたならば,例えばもし汝らの自発性に依るならば,共有材であるだろう;それというのは,各人の所有物であったところの一つ一つの物体,それは一粒々々の穀物であるが,それらは汝らの同意によって共有されるからである。あるいはもし偶然それが混ざったか,ティティウスがそれを汝の同意なしに混ぜたならば,共有財産であるとはみなされない;というのはその存在においてここの外形が継続し,もしティティウスの羊が何時の羊に混ざった場合群れが共有物であるとはみなされないのと同様に,斯様な場合にあっても穀物は共有材とならない:従ってもし汝ら二人のうちの一人によって,その穀物の総体が保持されたならば,一方では各々の穀物の分量に応じて対物訴権があり,他方穀物が質に関して各々の所有物になるか判断するということは裁判官の裁定に属する。

 

  1. Cum in suo solo aliquis aliena materia aedificaverit, ipse dominus intellegitur aedificii, quia omne quod inaedificatur solo cedit. nec tamen ideo is qui materiae dominus fuerat desinit eius dominus esse: sed tantisper neque vindicare eam potest neque ad exhibendum de ea re agere propter legem duodecim tabularum, qua cavetur, ne quis tignum alienum aedibus suis iniunctum eximere cogatur, sed duplum pro eo praestat per actionem quae vocatur de tigno iuncto (appellatione autem tigni omnis materia significatur ex qua aedificia fiunt): quod ideo provisum est, ne aedificia rescindi necesse sit. sed si aliqua ex causa dirutum sit aedificium, poterit materiae dominus, si non fuerit duplum iam consecutus, tunc eam vindicare et ad exhibendum agere.
    自身の土地において他人の材料を以ってある者が建築を行ったとき,自身が建物の所有者であるとみなされる;何となれば建てられた全ての物は土地に帰属するからだ。しかしそれにもかかわらず,これによって材料の所有者である者はその所有者であることが中止されない。しかし差し当たっては,十二表法に従って,材料を現物回収することもその物について現物提出の訴訟を起こすこともできない;(というのは)この法によって規定されるところでは,ある者は自身の住居に貼り付けられた他人の建築用材を取り外すことを強要されず,ただし,「梁木組立訴権」と呼ばれる訴訟を通じて,その代償として二倍量を与えなくてはならない(ところで,建築物が成されるところの全ての材料はTignumという名称によって示される):建築物が破壊される必要性がないように,これは予め設けられたのである。しかし,もし何らかの理由によって建築物が破壊されたならば,材料の持ち主は,もし既に二倍料を支払われ終えているのでなければ,その段階で材料の所有権を主張し,現物提出の訴訟をおこすことができる。

 

  1. Ex diverso si quis in alieno solo sua materia domum aedificaverit, illius fit domus, cuius et solum est. sed hoc casu materiae dominus proprietatem eius amittit, quia voluntate eius alienata intellegitur, utique si non ignorabat, in alieno solo se aedificare: et ideo, licet diruta sit domus, vindicare materiam non poterit. certe illud constat, si in possessione constituto aedificatore, soli dominus petat domum suam esse, nec solvat pretium materiae et mercedes fabrorum, posse eum per exceptionem doli mali repelli, utique si bonae fidei possessor fuit qui aedificasset: nam scienti, alienum esse solum, potest culpa obici, quod temere aedificaverit in eo solo quod intellegeret alienum esse.
    一方で,もしある者が他人の土地に自身の材料を以って家を建てたならば,家は土地所有者の所有物となる。そしてこの場合にあっては,材料の持ち主は材料の所有権を失う;というのは,もし他者の土地において彼自身が建てたということに無知でなかったのならば,自身の意志によって譲渡されたとみなされるからである。そしてそれ故に,家が破壊される場合でも,材料の回復訴権を起こすことはできない。もし建築者が占有を確立され,土地の所有者が,家屋が自身の所有物であると主張して材料の対価と職人の報酬を支払わないのならば,とりわけ家を建てたものが善き契約のうちにある所有者であった時は,不正なる詐欺についての異議申し立てを通じて所有を拒否され得るということは疑いもなく明白である。というのも,土地が他人の所有物であることを知る者に対して,彼の土地に思慮無く建築したということの過失は,土地が他人の所有物であるということを認識していたという理由で非難されるべきであるからだ。

 

  1. Si Titius alienam plantam in suo posuerit, ipsius erit: et ex diverso si Titius suam plantam in Maevii solo posuerit, Maevii planta erit, si modo utroque casu radices egerit. antequam autem radices egerit, eius permanet cuius et fuerat. adeo autem ex eo ex quo radices agit planta proprietas eius commutatur, ut, si vicini arborem ita terra Titii presserit ut in eius fundum radices ageret, Titii effici arborem dicamus: rationem etenim non permittere, ut alterius arbor esse intellegatur quam cuius in fundum radices egisset. et ideo prope confinium arbor posita si etiam in vicini fundum radices egerit, communis fit.
    もしティティウスが他人の苗木を自身の土地に植えたならば,彼自身の所有物となるであろう:そして反対に,もしティティウスが自身の苗木をマエウィウスの土地に植えた場合,マエウィウスの所有物となる;尚それら両方の場合において,根を伸ばしていた場合のことである。但し根を伸ばす以前にあっては,以前の所有者の所有物に留まる。そしてその上,そのこと,すなわち苗木が根を伸ばすということからその所有権が変化するので,もし近隣の木々へティティウスの土地が覆いかぶさり,それゆえに彼の地所へと苗木が根を伸ばすということがあったならば,木々がティティウスの所有物になると我々は定める。というのも木が,それが根を伸ばすところの土地の所有者以外の人物の所有物であるということは,道理が許さないからだ。そしてそれ故に,境界付近に植えられた木が,さらにもし隣人の土地へと根を伸ばしたならば,それは共有物となる。

 

  1. Qua ratione autem plantae quae terra coalescunt solo cedunt, eadem ratione frumenta quoque, quae sata sunt, solo cedere intelleguntur. ceterum sicut is qui in alieno solo aedificaverit si ab eo dominus petat aedificium, defendi potest per exceptionem doli mali, secundum ea quae diximas: ita eiusdem exceptionis auxilio tutus esse potest is qui alienum fundum sua impensa bona fide consevit.
    そして大地に根を下ろす苗木が土地に従属するのと同じ理論によって,蒔かれた穀物さえも土地に従属すると見做される。しかし他者の土地に(家を)建築した者のように,もし持ち主がその人物から建物を請求するならば,我々が述べたところに従って,悪意の抗弁を通じて保護されることができる。同じ抗弁の助けによって,他人の地所に自らの出資によって,善良なる信義を以て種を蒔いた者は安全であることができる。

 

 

 

 

最終更新日 2017年9月26日

 

続く

 

 

IG I3 75 (FOEDUS CUM HALIENSIBUS)

IG I3 75 (FOEDUS CUM HALIENSIBUS: ハリエイス人たちとの協定) (BC. 450)

 

【原文】

1            [θεο]ί·

              [Νε]οκλείδ[ες ․․8-9․․․ ἐγρα]μμάτευε.

              ἔδοχσεν τε͂ι [βολε͂ι καὶ το͂ι δέμοι· Αἰγεὶ]ς ἐπρυτάνευε,

              Νεοκλείδες [ἐγραμμάτευε, ․․․7․․․ ἐπε]σ̣τάτε̣, Λάχες ε-

5            ἶπε· χσυνθέκα[ς καὶ χσυμμαχίαν καὶ ℎόρκο]ς ἐ͂ναι <ἀ>δόλο-

              ς Ἀθεναίοι[ς καὶ ℎαλιεῦσιν κατὰ τάδε· v πα]ρέχε̣ν ℎαλι-

              ᾶς Ἀθεναί[οις ναύσταθμον καὶ προθύμος ὀφελε͂]ν Ἀθεν̣-

              αίος καὶ λ[ειστὰς μὲ ℎυποδέχεσθαι μεδ’ α]ὐτὸ̣ς̣ [λ]είζε̣[σ]-

              θαι μεδὲ χσ[υστρατεύεσθαι μετὰ το͂ν πο]λ̣εμίομ ἐπ̣’ [Ἀθε]-

10          ναίος μεδ’ ἐ[πὶ τὸς χσυμμάχος τὸς Ἀθεναί]ον μεδὲ χρ[έμ]-

              ατα παρέχε[ν τοῖς πολεμίοις μεδ’ ἐς τὰ τ]είχε ℎυποδέχ-

              εσθαι φρ̣[ορὰν το͂ν πολεμίον μεδεμίαν· ἐ]ὰν δέ̣ τ̣ις ἴει π-

              [ολέμιος ἐπὶ ℎαλιᾶς, βοεθε͂ν Ἀθεναίος ℎαλ]ιεῦσιν ἑτο-

              [ίμος καὶ ℎό τι ἂν δύνονται ὀφελε͂ν ℎαλι]ᾶς· ℎόσα δὲ ἔχο-

15          [σι ℎαλιε͂ς ἐᾶν ἔχεν ἐς τὸ λοιπόν· ἀδικ]ε͂ν δὲ μεδὲν ℎαλι-

              [ᾶς μεδὲ περιορᾶν ἐὰν ἀδικέσει τις τ]ο͂ν πολεμίον· Ἀθε-

              [ναίος δὲ φυλάττεν ἐν ℎαλιεῦσι φρορ]ὰν ℎέος ἂν ℎο πόλ-

              [εμος] ἄ̣[γεται, ἐρένες δὲ γενομένες τ]ὲν σφετέραν αὐτο͂-

              [ν φυλάτ]τ̣[εν ℎαλιᾶς· ἐὰν δέ τινος ἄλλ]ο δέονται δικαίο

20          [ℎαλιε͂ς παρὰ το͂ δέμο το͂ Ἀθεναίον ℎε]υ̣ρισκόσθον vvvv

              [κατὰ τάδε ὄμοσαν ℎαλιε͂ς· χσύμμαχο]ι ἐσόμεθα Ἀθεναί-

              [οις καὶ φίλοι ἐπιτέδειοι καὶ παρέ]χσομεν Ἀθεναίοι-

              [ς ναύσταθμον καὶ προθύμος ὀφελέσ]ομεν Ἀθεναίοις κα-

              [τὰ τὸ δυνατὸν ἐμ παντὶ καιρο͂ι καὶ ἐ]μμενο͂μεν ταῖς χσ-

25          [υνθέκαις πιστο͂ς καὶ ἀδόλος Ἀθεναί]οις· ὀμνύντον δὲ

              [καὶ] α̣[ὐ]τ̣ο̣͂[ν πρέσβες καὶ ἐχσόλειαν ἐπ]αράσθον εἰ μὲ ἐμμ-

              [έ]ν̣οιεν [ἐν τοῖς ℎόρκοις ℎὸς ὀμομόκα]σιν ℎαλιε͂ς· ὄμ[οσ]-

              [αν δ’] αὐτοῖς Ἀ[θεναίον ℎε βολὲ καὶ ℎοι σ]τ̣ρατεγοὶ ἐμμε-

              [νε͂ν ἐ]ν ταῖς χσυνθ[έ]κ̣[αις ℎὰς χσυνέθεντ]ο πρὸς ℎαλιᾶς

30          [ℎοι ἐπ]ὶ τὰ χσυγκε[ίμενα· τὰς δὲ χσυνθέ]κας ἀναγράφσα-

              [ι ἐστέλε]ι λ̣ιθίν̣ε̣[ι τὸν γραμματέα τε͂]ς βο[λ]ε͂ς καὶ κατα-

              [θε͂ναι ἐμ πόλει· οἱ δὲ κολακρέται δόντ]ον [τὸ] ἀργύριον·

              [ℎαλιε͂ς δὲ θέντον τὲν στέλεν ἐς τὸ ℎι]ερὸ[ν τ]ο͂ Ἀπόλλον-

              [ος· πρέσβες ℎοίδε ὄμνυον τὲν χσυμμαχ]ίαν· v Νέον v Ἀ[․․]

35          — — — — — — — c.32 — — — — — — — ος Ἀγακ[λ․․․]

              — — — — — — — c.31 — — — — — — — vacat

              — — — — — — — — — — — — — — — — #⁷#⁷ — — — —

 

【翻訳】

紀元前5世紀後半辺りまではアテナイの碑文はアッティカ書体で書かれており,所謂我々が文法書などで学ぶギリシア語とは文字の対応などが異なっています。

以下が,分かりやすいように校訂記号を外して(所謂)通常のギリシア語に直したのとその訳です。どこが長母音かとかはあまり自信がないのであくまで参考程度に...

 

[θεο]ί·

神々よ[1]

 

Νεοκλείδης ․․․․․ ἐγραμμάτευε.

[2]ネオクレイデースが書記を務めた[3]

 

ἔδοξεν τῃ βουλῃ καὶ τῳ δήμῳ·

評議会と民会が決議した:

 

Αἰγεὶς ἐπρυτάνευε, Νεοκλείδης ἐγραμμάτευε, ․․․․․․ ἐπεστάτει, Λάχης εἴπε·

アイゲイス部族が当番評議員を務め,ネオクレイデースが書記を務め[4],…が議長を務め,ラケース[5]が動議した:

 

ξυνθέκας καὶ ξυμμαχίαν καὶ ὅρκους εἰναι ἀδόλους Ἀθεναίοις καὶ ἁλιεῦσιν κατὰ τάδε·

以下の元に,アテナイ人とハリエイス人たちにおいて協定,軍事同盟,誓約は真正たるべし:

 

παρέχε̣ιν ἁλιᾶς Ἀθεναίοις ναύσταθμον καὶ προθύμως ῶφελεῖν Ἀθεν̣αίους καὶ λῃστὰς μὲ ὑποδέχεσθαι μεδ’ αὐτοὺς λείζε̣σθαι μηδὴ ξυστρατεύεσθαι μετὰ τῶν πολ̣εμίων ἐπ̣’ Ἀθεναίους μεδ’ ἐπὶ τοὺς ξυμμάχους τὸς Ἀθεναίων μηδὴ χρήματα παρέχειν τοῖς πολεμίοις μηδ’ ἐς τὰ τείχη ὑποδέχεσθαι φρ̣ορὰν τῶν πολεμίων μεδεμίαν·

ハリエイス人たちはアテナイ人に停泊地を引き渡すべし;アテナイ人に進んで奉仕すべし;海賊を受け入れてはならない;自らも海賊行為を行ってはならない;敵[6]とともにアテナイ人に対する遠征に参加してはならない,アテナイ人の同盟国に対する遠征にも参加してはならない;敵に必要物資を与えてはならない,どの敵の守備隊も市壁の中へと引き入れてはいけない:

 

ἐὰν δέ̣ τ̣ις ἴει πολέμιος ἐπὶ ἁλιᾶς, βοεθεῖν Ἀθεναίους ἁλιεῦσιν ἑτοίμως καὶ ὅ τι ἂν δύνωνται ὀφελεῖν ἁλιᾶς·

もしある敵がハリエイス人に敵対して攻めてきたら,アテナイ人はハリエイス人に対して熱意を持って救援に駆けつけるべし,そして出来る限りのことは何でもハリエイス人達を援助すべし:

 

ὅσα δὲ ἔχωσι ἁλιε͂ς ἐᾶν ἔχεν ἐς τὸ λοιπόν·

そしてハリエイス人が持っているところのもの(領土)と同じものを今後も持つことを許すべし[7]

 

ἀδικεῖν δὲ μηδὲν ἁλιᾶς μηδὴ περιορᾶν ἐὰν ἀδικήςῃ τις τῶν πολεμίων·

そしてアテナイ人はハリエイス人に決して不正を働かず,不正を働くならば見過ごしてもならない:

 

Ἀθεναίους δὲ φυλάττεν ἐν ἁλιεῦσι φρουρὰν ἕως ἂν ὁ πόλεμος ἄ̣γηται, εἴρηνης δὲ γενομένης τὴν σφετέραν αὐτῶν φυλάττ̣ειν ἁλιᾶς·

そしてアテナイ人は戦争が遂行されている間はずっと,ハリエイスにおいて守備隊を保持するべし,そして平和の生じている間は,ハリエイスが彼ら自身のものを保持するべし:

 

ἐὰν δέ τινος ἄλλο δέονται δικαίο ἁλιῆς παρὰ τοῦ δέμου τοῦ Ἀθεναίον ἑυρισκόσθον vvvv κατὰ τάδε ὄμοσαν ἁλιῆς·

そしてもしハリエイス人がアテナイ人の民会からある他の正当なる権利を要請するならば見つけるべし(=与えられるであろう):

 

ξύμμαχοι ἐσόμεθα Ἀθεναίοις καὶ φίλοι ἐπιτήδειοι καὶ παρέξομεν Ἀθεναίοις ναύσταθμον καὶ προθύμως ὀφελέσομεν Ἀθεναίοις κατὰ τὸ δυνατὸν ἐμ παντὶ καιρῷ καὶ ἐμμενοῦμεν ταῖς ξυνθήκαις πιστῶς καὶ ἀδόλος Ἀθεναίοις·

我々はアテナイ人との同盟者と有益な友となるだろう;そして我々はいかなるときもアテナイ人に港を提供し,能力の及ぶ限り喜んでアテナイ人を援助するだろう;そしてアテナイ人に対して信頼して誠実に諸協定において留まるであろう:

 

ὀμνύντον δὲ καὶ αὐτῶν πρέσβεις καὶ ἐξόλειαν ἐπαράσθον εἰ μὴ ἐμμένοιεν ἐν τοῖς ὅρκοις οὓς ὀμομόκασιν ἁλιῆς·

ハリエイス人が誓った誓の中に彼らが留まらなかったら,完全なる破滅を誓いなさい(=自ら呪いをかけよ)。

 

ὤμοσαν δ’αὐτοῖς Ἀθεναίον ἡ βουλὴ καὶ οἱ στρατηγοὶ ἐμμενεῖν ἐν ταῖς ξυνθήκαις ἃς ξυνέθεντο πρὸς ἁλιᾶς οἱ ἐπὶ τὰ ξυγκείμενα·

そして評議会と将軍はハリエイス人たちに,合意されるべきことの担当者たちがハリエイス人たちに対して締結した諸協定においてアテナイ人たちが留まることを誓った:

 

τὰς δὲ ξυνθήκας ἀναγράφσαι ἐστέλῃ λιθινῃ τὸν γραμματέα τῆς βουλῆς καὶ καταθειναι ἐμ πόλει·

そして評議会の書記官が諸協定を石造りの記念碑へと刻むべし;またアクロポリスにおいて設置すべし:

 

οἱ δὲ κωλακρέται δόντον τὸ ἀργύριον·

そしてコーラクレテース[8]たちは資金を提供せよ:

 

ἁλιῆς δὲ θέντων τὴν στήλην ἐς τὸ ἱερὸν τοῦ Ἀπόλλωνος·

そしてハリエイス人はアポロンの聖地に碑を設置せよ:

 

πρέσβεις οἵδε ὄμνυον τὲν χσυμμαχ]ίαν·

以下の大使たちが同盟を誓っていた[9]

 

Νέον

ネオン

 

Ἀ[․․]

ア...

 

— ος

...オス

 

Ἀγακ[λ․․․]

アガクレ...

 

[1] Invocative Phraseの始まり方

[2] 恐らく,父親の名前か居住していた区の名前が書かれていたと思われる

[3] 石版に刻んだ際の書記(前5世紀当時は評議会員からの選挙で任期は1プリュタネイア)

[4] 評議会,民会で決議された際の書記

[5] 当時の将軍,以下の不定法構文は彼の言及した内容

[6] ここではペロポンネソス側についていたコリントスが念頭に置かれている

[7] すなわち現有領地の保護条項。

[8] 元々は供犠において犠牲獣の脛を集める役割を持った人のことで,後に公共食事の準備や財務全般を担う役職名となった。

[9] 以下にハリエイス人たちの大使の名前が同盟の証人として記載されていたようだが損傷が激しく読み取ることができない。

 

【解説もどき】

紀元前5世紀にアテナイがハリエイス人達と結んだ同盟についての決議碑文です。

全部で6つの断片から成り,1つ(b断片)はアクロポリスで,3つ(a, c, d断片;内d断片が2つに割れているのでパーツは4つ)はバッカスとヘロデスの劇場の間で見つかりました。もう一つは事前に見つかっていたもので,Raubitschekによりこの碑文の一部であると同定されたものになります。b断片はケンブリッジのフィッツヴィリア・ミュージアムにあるそうです。

 

ハリエイスは小さい港街ながらも戦略的に重要な位置にあったとのことで,決議内容を読むと,軍隊の駐屯を強いているのみで,他はハリエイス人に対してアテナイ人が権利を提供するものとなっています。恐らく敵方に回ることを避けようとせんがためのものなのでしょう。

私がゼミ中に混乱したので書きますが,

アテナイ大使がハリエイス訪問,同盟内容を決定

②上程者の将軍ラケースを中心にアテナイ評議会,民会で審議

③ハリエイス人大使が宣誓

アテナイ評議会と将軍が宣誓

という流れでしょうか。

 

なお,ハリエイス人のついての史料は殆どこれしかないらしいですね…

Thuc. 1, 105には,この条約以前にアテナイが艦隊でハリエイスに上陸し,コリントスに敗れたとの記載があります。

『ギリシア語入門』(田中美知太郎・松平千秋):練習問題の解答案

古典ギリシア語を最初から学習する上では,『ギリシア語入門 新装版』(田中美知太郎・松平千秋)をはじめに1周するのが(結構前から)セオリーのようです。

僕も授業で購入して取り組みましたが,非常にわかりやすく,安定して安価に入手できる入門書ですが,一点練習問題の解答がないのに困りました(まあ独習書というよりは教科書だからなんでしょうが...ちなみにネットで探したらあるにはあったのですが,気息記号やアクセント記号がないのと,入力ミスがちょくちょくありました)。

久しぶりに解き直してみることにし(ほとんど吹っ飛んでしまいました),せっかくですので解答を打ち込んで上げてみることにしました。全部終わるのはいつになるかわかりませんが,少しずつ増やしていきます。(間違いが多いと思いますのであまり信用なさらぬように...;見つけたら教えて下さい)→以下のログをご覧になるとわかりますが,セルフチェックでも恐ろしいまでのミスが見つかっています…

 

 

別にプログラムとかじゃないんで大丈夫だと思いますが一応スキャンとかかけておくことをおすすめします。

https://1drv.ms/b/s!AmdAVvA0ZcISgtgvKiUn0-W6Ysepsw

 

(編集ログ)

2017年4月25日:講読の授業が忙しくなったので一旦中断します...

2017年3月10日:練習問題30,31(第16課)ならびに§163(第17課)を追加しました。

2017年3月9日:練習問題28,29(第15課)を追加しました。果たして終わるのでしょうか。

2017年3月1日:練習問題26,27(第14課)を追加しました。

2017年2月27日:動詞のアクセントの後退性をすっかり忘れてました。一通り直しましたけどまだある気がします。練習問題24,25(第13課)を追加しました。

2017年2月23日:練習問題20~23(第11, 12課)を追加しました。注意書きを加筆しました。

2017年2月22日:練習問題18,19(第10課)を追加しました。注意書きを加筆しました。練習問題15-3,「詩人のποιητοῦ」が何故か「市民のπολῖτου」になってたので直しました;15-4 "πολῑτῶν εὐεργέτᾱς"は定冠詞を取るべきな気がしたので外したのと,スペルミスを直しました;17-2 "θύρᾱν"のアクセント位置がおかしかったので直しました;17-3 "ἡσυχίᾱν"に余計な曲アクセントがあったので削除し,"ἦγον"が誤って鋭アクセントになっていたので直しました。

2017年2月21日:院試に受かったので再開します。とりあえず今日は訂正だけ;練習問題11-4で,プロクリティック"ἐκ"に誤って鋭アクセントを付けていたのと,"πέμψει"に鋭アクセントを付け忘れていたこと,13-5で"παρὰ"の重アクセントを鋭アクセントにしてしまっていたのを修正しました。

2016年10月21日現在:ちゃんと生きてます。が、卒論と院試でギリシア語に時間が割けなくなりました…続きは2月後半までお待ちください…

2016年8月5日:練習問題14~17(第8,9課)を追加。注意書きを修正。

2016年8月2日:練習問題12~13(第7課)を追加;練習問題5(3)を疑問形にしていなかったのを訂正し,(4)の"?"を";"にする

2016年7月31日:練習問題4~11(第3~6課)まで作成

CIL V 606

同じく今日のゼミで扱われた墓碑銘です。

 

C. Hotilio C. f.

Flugioni

C. Hostilio C. f.

Nepoti f(ilio)

L. Mutillio L. l.

Nimphodoto f(ilio)

Hostilia C. l.

Provincia

v(iva) f(ecit).

 

C. = Gaius, L. = Lucius, f. = filius, l. = libertoですので、上から訳すと

 

ガイウスの息子ガイウス・ホティリウスのために

フルギオヌスのために

ガイウスの息子ガイウス・ホスティリウスのために

ネポスのために、息子のために

ルキウスの解放奴隷ルキウス・ムティッリウスのために

ニンフォドトゥスのために、息子のために

ガイウスの解放奴隷ホスティリアが

プロウィンキア

生きている者が成した

 

謎です。

 

まずローマ人の名がpraenomen(男性のみ)- nomen-status(C. f.とかC. l.とか)-cognomenになることを考えると、登場人物は

①ガイウスの息子ガイウス・ホスティリウス・フルギオヌス

②ガイウスの息子ガイウス・ホスティリウス・ネポス

③ルキウスの解放奴隷ルキウス・ムティッリウス・ニンフォドトゥス

④ガイウスの解放奴隷ホスティリア・プロウィンキア

の四人となります。

となるとNepotiやNimphodotoの後ろのf(ilio)は何だということになりますが、結論を先に言うとホスティリア・プロウィンキア(④)の息子ということらしいです。

ホスティリア・プロウィンキア(④)を解放したガイウスというのはガイウス・ホスティリウス・フルギオヌス(①)で、この二人が結婚し、生まれた息子がガイウス・ホスティリウス・ネポス(②)になるのだそうです。市民と解放奴隷の間に生まれた子は市民となるので、確かに辻褄はあります。

で、ルキウス・ムティッリウス・ニンフォドトゥス(③)は誰だということになると、ホスティリア・プロウィンキア(④)が解放奴隷になる以前にもうけた息子ということになり、彼は母親が解放される前だったので、奴隷身分となります。ルキウス・ムティッリウス・???さんが彼を解放したのち、同居したということなんでしょうか?

 

要点を言うと、

①が④を解放して結婚して②が生まれた。

③は④が解放される以前に生まれた子である(②③は異父兄弟)。

ということですね。

 

名前のつけ方だけでここまで推測できるのは面白いですが、ローマ人には名前のつけ方を改めていただきたかった次第です。(そもそも名前のヴァリエーションが少ないしね)

 

以上最初の墓碑銘を適宜補って全訳するとこんな感じでしょうか?

 

ガイウスの解放奴隷ホスティリア・プロウィンキアが存命中に建てた;

ガイウスの息子ガイウス・ホスティリウス・フルギオヌス、ガイウスの息子ガイウス・ホスティリウス・ネポス、そしてルキウスの解放奴隷ルキウス・ムティッリウス・ニンフォドトゥスのために。

 

お母さんだけ生き残ってしまった何かがあったんでしょうかね…